山崎さんにとって、事件現場の案内は特別なことではない。これまで幾度となく繰り返してきた支援活動の一部だ。記者、海外メディア、新たに弁護団に加わる弁護士など、多くの人が山崎さんの案内を受けてきたという。

「事件に関心を持ってくれた人には、まず現場を見てもらわないと。現場を見れば、事件のどこがおかしいか、だいたいわかりますから」

パンフレット作りから始まった支援

山崎さんが冤罪事件に関心を持ったのは大学時代。たまたま同じアパートの知人から借りた狭山事件を描いた漫画『差別が奪った青春』を読んだことがきっかけだった。

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狭山事件は、1963年に埼玉県狭山市で発生した女子高校生強盗殺人事件。被差別部落出身の石川一雄さんが犯人として逮捕、有罪判決を受けたが、証拠の不自然さや自白の強要が指摘され、現在も冤罪を訴える活動が続いている。

山崎さんは最初、「警察がこんなことするわけない」と思っていたが、実際に埼玉県狭山市を訪れ、事件関係者に話を聞くなどするなかで考えが変わっていった。

その後、1954年に起きた島田事件の支援にも関わるようになり、袴田事件を知った。船舶の入港手続きなどをする代理店に会社員として勤めながら、支援集会などに参加し、1989年に島田事件が再審無罪になると、本格的に袴田さんの支援活動に携わるようになる。

山崎さんが袴田支援に関わり始めた頃、すでに第1次再審請求が進んでいた。しかし、最初から弁護団と支援者が、こんなに近い関係だったわけではないと、山崎さんは振り返る。当時、弁護団と直接話ができる支援者は限られていたという。

転機は1994年8月、第1次再審請求が静岡地裁で棄却されたあとだった。東京高裁への即時抗告を控えた時期、弁護団の一人から「手伝ってほしい」と声をかけられ、裁判資料を見せてもらうようになった。

「秋山賢三弁護士が弁護団会議で、『冤罪事件は弁護団と支援者が協力しなければダメだ』と言ってくれたんです。そこから関わりが大きくなりました」