もっとも、当初はあくまで支援者としての立場だった。
「まず、袴田事件を説明するパンフレットを作ろうという話になったんです。1997、98年だったかな。ちょうど一般にもパソコンが普及し始めた頃で、私も初めて自宅にパソコンを購入したんです」
パンフレット作りの一方で、弁護団からもう一つ提案があった。裁判記録のデジタル化だ。
「一審公判から控訴審、最高裁までの記録を、みんなで手分けして文字に起こし、テキストファイルにしました。写真も含め、全部データ化したんです。知り合いの学生たちにも手伝ってもらってね。紙のコピーは大変ですからね。キーワードで検索すれば関連する記録がすぐに探せる。そこでまた記録を読み込んで、『ここはこう指摘できるんじゃないか』と弁護士にも言えるし、僕らも意見を出せるようになった。弁護団も、支援者の意見がプラスになることを理解してくれるようになりました」
再審開始への突破口「味噌漬け実験」
袴田事件の再審開始の決め手となったのは、山崎さんら支援者が中心となって行った「味噌漬け実験」。その発端は、山崎さんの素朴な疑問だった。
2004年8月、第1次再審請求の即時抗告が棄却された際、その理由として、味噌漬けの衣類がそう簡単に作れるものではない、という内容の記述があった。
「え? そんなことはないだろう、と思ったのが最初」
死刑判決を支える証拠は、事件発生から1年2カ月後に袴田さんが勤めていた味噌製造工場の味噌タンクの底から見つかった「5点の衣類」だ。味噌漬けにされ、血痕が付着したシャツやステテコが「犯行着衣」とされた。しかし、山崎さんはカラー写真で見た犯行着衣の色に違和感を覚えた。
「長期間にわたって味噌に漬かっていたはずなのに、シャツの色が白すぎる、というのが第一印象。血痕の赤みも残っているし、おかしいなと思った。過去に関わった冤罪事件の経験から、これは『捏造(ねつぞう)』されたんじゃないかと。それで自分で実験してみようと思いました」