世界で最も長く拘置された死刑囚として、事件発生から58年たって無罪が確定した袴田巌さん。日本では過去に4例しかなかった死刑確定後の再審無罪を、いかにして勝ち取ったのか。戦後最大の冤罪(えんざい)事件とされる袴田事件を支援し続けてきた「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹・事務局長が、無罪判決までの30年におよぶ道のりを明かす。
支援者たちは、どうやって社会を動かしたのか
2024年9月19日午後6時、私は日比谷野音のごった返す雑踏の中にいた。
「今こそ変えよう! 再審法〜カウントダウン袴田判決」と題された集会には約2400人が集まり、袴田巌さんの姉・ひで子さんをはじめ、国会議員、弁護士、ジャーナリスト、著名人たちが次々とマイクを握り、声をあげていた。
袴田事件は、1966年に静岡県で一家4人が殺害された強盗殺人放火事件。味噌工場の従業員で元プロボクサーの袴田巌さんが同年8月18日に逮捕され、味噌タンクから見つかった血痕の付着した「5点の衣類」などを根拠に死刑判決を受けたが、その証拠の信頼性に疑問が呈され、再審の審議が続いていた。
再審判決を翌週に控え、無罪判決を勝ち取るための最後の後押しをという雰囲気で、会場は烈しい熱を帯びていた。マスコミも連日、袴田事件を大きく取り上げ、事件の検証や再審無罪を支持する根拠を報じていた。そして結果的に、袴田さんが逮捕から58年を経て死刑囚の立場から解放されたことは、今や誰もが知るところだろう。
もちろん私も、袴田さんの無罪判決を願い、その行方を見守る思いで日比谷野音にいたのだが、それだけが理由ではなかった。
その前月、私が制作したドキュメンタリー映画『マミー』が公開されていた。1998年に起きた和歌山カレー事件の冤罪の可能性を、弁護士やジャーナリスト、科学鑑定の専門家に取材し、検証を試みた作品だ。
私は一連の取材を通じて、カレー事件は冤罪の可能性が高いと考えるようになった。無実だと断言できる材料はないものの、林眞須美さんを死刑とした判決には多くの疑問点があり、少なくとも再審によって事実を明らかにする必要があると強く感じている。