また、日本では醸造所が通信販売免許を持っています。全国津々浦々の飲食店や消費者に直接販売することが可能で、商圏が地元の都道府県に限定されることはありません。そのため、クラフトブルワリーと地元との関係性はアメリカのそれと異なった性質を持っています。
こうした違いからわかるように、2010年代にアメリカから上陸したクラフトビールという概念は日本にそのまま広まったわけではなく、酒類に関する日本の法律やシーン構成などの関係で一部日本風にアレンジされた形で理解されました。日本のクラフトビールはアメリカのそれと共通点を一定程度持ちながらも、異なる様相を見せているのです。
「私たちがとても大事にしている何か」
日本にはクラフトビールについての統計的な指標はありませんが、多くの方がなんとなくクラフトビールというもののイメージを持っていて、情緒的で主観的なクラフトビール観だけは確実に存在しています。日本でも、単なる麦芽発酵飲料としてのビールではなく、「クラフト」ビールであることに意味を見出されている点に私は注目しています。そこに何かを期待したり、託したりしているものがあるからこそ、「クラフト」という言葉を付けて区別しているのだと思います。抽象的な表現にはなりますが、クラフトビールには、「言葉にはしにくいけれども、私たちがとても大事にしている何か」があるのです。
それはビアスタイルの豊富さや味わいの多彩さのようなものだけでなく、その先にある精神的なものであったり、文化的な何かかもしれません。いずれにせよ、統計的な指標がない以上、数値で把握可能なクラフトビールというものは存在しないので、日本におけるクラフトビールは文化的な現象として、言葉によって分析され理解されていくものだと私は考えています。
日本独自のクラフトビール観があっていい
日本でクラフトビールという概念がどのように受け入れられ、今それがどんな形になっているのかを、これからもう少し詳しく見ていきますが、先に断っておきたいことが一点あります。日本のクラフトビールという概念がアメリカのものと異なっていたとしても、それはけっして間違ったことではないということです。各国それぞれ歴史と文化を持ち、それらを背景に物事を解釈しています。日本はアメリカと関係が深いとはいえ、別の国ですので、日本独自のクラフトビール観があって然るべきです。また、発祥の国とされるアメリカがクラフトビールをリードし、その全ての事柄に先行しているのは当然で、後発国であったとしても日本がその遅れを卑下する必要はありません。日本には日本の歩み方があり、先行事例としてアメリカを参考にしつつも独自の路線を突き進めば良いのです。違いはあっても、それが優劣とは関係がないということは強調しておきたいと思います。
