地ビールからクラフトビールへ

 クラフトビールという言葉は地ビールの言い換えであると説明されることもあります。そこでここでは、地ビールの成立から現在までにどのような出来事があり、いつクラフトビールと入れ替わったか、どのように普及していったかを時系列で確認していきます。

 1994年の規制緩和でビール製造免許における最低年間生産量が2000キロリットルから60キロリットルへ引き下げられました。これによって新規参入が可能となり、ご当地ビールとしてのいわゆる地ビールが生まれることとなりました。新潟県のエチゴビールを皮切りに全国各地に地ビールの醸造所が作られ、国税庁の資料によると事業者数の最盛期は2003年でビール製造免許事業者は251軒でした。03年をピークに事業者数は減少に転じ、低迷の時代を迎えます。価格が高いにもかかわらず低品質なお土産ビールとしての地ビールが敬遠されるようになったことが衰退の原因だと言われています。

 その後、2010年代に入ると地ビールは徐々にクラフトビールと呼ばれるようになっていきます。以下、今に至る流れを詳しく見ていきます。

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 前段として触れておきたいのは、クラフトビールという単語の初出についてです。まだ網羅的な調査が完了していないので断言はできませんが、私が国会図書館や各種新聞、雑誌のデータを調べた範囲では2009年7月に発行された『Venture link: ニッポンの中小企業を元気にする経営情報誌』に収められている「地ビール 埼玉・川越発、世界へ——『クラフトビール』で開拓する新市場 COEDO・協同商事(埼玉)」という記事が、タイトルにクラフトビールと記された最も古いものです。1996年に創業した月夜野クラフトビール(2023年廃業)や2002年に販売を開始した仙南クラフトビール(2025年に運営主体が変更され、同名義での製造は終了)のように、クラフトビールという単語を自社のブランド名に入れている例はあり、2010年代に入る前にこの単語が存在していたことは確かです。しかし、固有名詞の一部であって一般名詞にはなっておらず、その当時は各種媒体で紹介されるときに使われる単語は「地ビール」が主流でした。