2005年、小学5年生でグラビアデビューし、世間にさまざまな驚きを与えた紗綾さん(31)。デビュー当時、「中国の反日運動を止めた少女」というインターネット上での流言飛語が意外な話題となったものの、その後もキャリアを進め今年でデビュー20周年を迎えた。
2022年に結婚、現在一児の母として広島に居を構えながら現在も芸能活動を続けている紗綾さんにこれまでの足跡を振りかえってもらった。(全3回の3回目/最初から読む)
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10周年でセミヌード解禁。「DVDは嫌いな仕事だった」
――ダイエットに苦労されながらも、高校生から20代前半にかけては写真集もDVDもたくさん発表されましたよね。ご自身でも写真集を見返すものですか。
紗綾 見ますよ。写真を撮られること自体は子どもの頃から好きなんです。高校生になってからは、お芝居がより楽しくなってきて、いろんなことにチャレンジしたいという思いが強かった時期もありましたけど、グラビアが嫌だと思ったことは全然ないです。
それに、事務所の方も肌の露出についてはしっかり管理してくれていましたし、布の面積の小さい水着はNG、お尻も出さない、ヌードもやらない、そういう線引きを自分のなかでもはっきりしていました。
どうやって「紗綾」というタレントの知名度をキープしていくか、そんなことをずっと考えていました。高校を卒業する頃には、写真集のコンセプトや衣装について自分の意見を聞いてもらえるようになってきて、さらに楽しくやれるようになりました。
――転機になった出来事や写真集も?
紗綾 2015年に出した『紗綾 写真集』ですね。それまではガチガチのグラビアにこだわってきたし、セミヌードは事務所も反対していました。でも、デビュー10周年記念で、講談社さんという大きな出版社から、西田幸樹さんという先生クラスのカメラマンさんに撮ってもらえるという、いい条件が重なったんです。
西田さんは、すごくセクシーだけどとてもきれいで品のある写真を撮ってくださる方。このタイミングならいいか、と「セミヌード、いいですよ」と自分から言いました。表紙の写真も、当初は編集者の方が決めてくださったんですが、「顔のどアップがいいと思います!」と自分で決めた。だからとても印象深い写真集になりました。
――たしかに、それまでの写真集は胸が強調されていたり、体が見えているものでしたが、『紗綾 写真集』は鋭い眼差しが強烈な表紙でした。何かイメージされるものがあったんですか?
紗綾 私、美術館に行くのが好きなんです。具体的に誰の絵が好きとか、写真が好きとか、そこまでではないんですが、アートに触れると、こういう色使いをしたい、見せ方をしたいといったインスピレーションが湧いてくる。それを撮影の時にお伝えすることはありますね。
『紗綾 写真集』も、人によって見え方が違うと思いますが、私はエロいとは全然思わなくて、「美」を前面に出した「アート」として撮っていただけたなと思います。あの当時のピチピチのときに、セミヌードをやっておいてよかったなと思っています。

