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「何の差支えがあろう」
フィリピン・レイテ島の捕虜収容所で日本の敗戦を知ったのは、のちに作家になる大岡昇平である。
「では祖国は敗けてしまったのだ。偉大であった明治の先人達の仕事を、三代目が台無しにしてしまったのである。歴史に暗い私は文化の繁栄は国家のそれに随伴すると思っている。あの狂人共がもういない日本ではすべてが合理的に、望めれば民主的に行われるだろうが、我々は何事につけ、小さく小さくなるであろう。偉大、豪壮、崇高等の形容詞は我々とは縁がなくなるであろう。(中略)
しかし慌てるのはよそう。五十年以来わが国が専ら戦争によって繁栄に赴いたのは疑いを容いれぬ。してみれば軍人は我々に与えたものを取り上げただけの話である。明治十年代の偉人達は我我と比較にならぬ低い文化水準の中で、刻苦して自己を鍛えていた。これから我々がそこへ戻るのに何の差支えがあろう」(『俘虜記』)
かくして一九四五年八月一五日、日本人にとっての戦争が終わった。天皇の肉声による玉音放送を境に、日本の戦争行為は一斉に収まり、終戦を迎えたのである。
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