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「おばさん、日本は負けたんだ」
当時、東京医学専門学校(のちの東京医科大学)の学生だった小説家の山田風太郎は、学友と疎開していた長野県飯田市の大衆食堂でこの放送を聴いている。
「どうなの? 宣戦布告でしょう? どうなの?」
と、おばさんがかすれた声でいった。訴えるような瞳であった。
これはラジオの調子が極めて悪く、声がときどき遠ざかり、用語がやや難解で、また降伏どいう文字は一語も使用していないこと――などによる誤解ばかりではない。
信じられなかったのである。
日本が戦争に負ける、このままで武器を投げるなど、まさに夢にも思わなかったのである。
「済んだ」と、僕はいった。
「おばさん、日本は負けたんだ」
「どうしたんだ? え、どうしてだ?」と、驚いたことに柳沢もいった。
しかしその眼の色は、彼がすでに真実を知っていることを示していた。あの悲痛を極めた音調のみからでも、どうしてそれが悟らずに居られようか。しかし頭はなおこれを否定しているのである。いや、否定したいのである」(『戦中派不戦日記』)


