戦後80年という大きな節目の年を迎えた今、戦争の記憶を次世代へどう継承していくかが改めて問われている。
AI技術を駆使してモノクロ写真をカラー化し、戦争体験者との対話を重ねながら、当時そこに確かにあった日常や失われた記憶を鮮やかによみがえらせる「記憶の解凍」プロジェクト。この画期的な取り組みを書籍化した『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書)は、各方面で大きな反響を呼んだ。
共著者の一人である庭田杏珠氏(現・広島テレビ勤務)が、このプロジェクトを始動させたのは、わずか15歳のときだった。高校1年生だった彼女は、どのような思いでこの活動に足を踏み入れたのか。2024年、広島蔦屋書店でのパネル展開催時に行われたインタビューをもとに、その原点と軌跡を辿る。
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「おどろおどろしい蝋人形があまりにも衝撃的で…」
庭田氏の平和活動への入り口は、決して積極的なものではなかった。むしろ幼少期は、平和学習に対して強い苦手意識を抱いていたという。その原体験は幼稚園の年長時に遡る。リニューアル前の平和記念資料館を訪れた際、展示されていた被爆再現人形(蝋人形)の姿に圧倒されたのだ。
「おどろおどろしい蝋人形があまりにも衝撃的で……夜も眠れなくなるくらい怖くなってしまって」
その衝撃は彼女の心に恐怖として刻み込まれた。小学校入学後も、平和教育の場では「悲惨な体験」を見聞きすることが大半であり、彼女の中で戦争は「負の側面」ばかりが強調される対象となっていった。
転機が訪れたのは、小学5年生のときだ。平和学習の一環で手にした「平和記念公園めぐり〜原爆で失われた街・中島地区をたずねて」というパンフレットが、彼女の視点を大きく変えることになる。現在の平和記念公園一帯にあたる「中島地区」。パンフレットには、今の公園の地図と対比する形で、被爆前の市民の日常生活を捉えた白黒写真が掲載されていた。
そこには、映画館があり、カフェがあり、川遊びに興じる子どもたちの姿があった。
「今まで私は8月6日8時15分以降の世界ばかりを見ていたけど、ほんの数秒前までは普通の日常があったんだ……」
それまで「被爆後の怖い世界」にのみ自分を重ねていた庭田氏は、初めて「当時の広島の日常」の中に自分の身を置き、想像することができたのだ。一瞬にして奪われた当たり前の日常を、「自分事」として捉え直した瞬間だった。






