また、人の記憶に関連することとして、筆者は過去に印象深い取材をしたことがある。1989年夏のコミックマーケット(コミケ:同人誌即売会)において、開催直前に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者として宮崎勤元死刑囚が逮捕され、過去に宮崎がコミケに参加していたことからテレビ局がコミケ会場に取材に来て、「ここに10万人の宮崎勤がいます」とレポーターが叫んだという広く伝えられていた噂の真偽についての取材だ。

 多数の目撃証言はあっても細部はまるで異なっており、噂について書いてある文献も「数万人の宮崎勤」から「40万人の宮崎勤」にまで年を経るごとに膨れ上がっていた。叫んだレポーターと名指しされていた女性は噂を否定し、当時のコミックマーケット準備会のスタッフも当時見たことも、話題になった記憶もないという。

 こうした現象について中央大学の松田美佐教授に伺うと、「記憶の研究では、見ていないものを『見た』という、後で記憶をすり替えられることは珍しくない。目撃証言もあいまいな部分があって、時間が経つにつれて映像はこうだったと本当に思ってくる。本人が嘘をつくつもりでも、不誠実な訳でもない」と目撃証言が持つ問題を語って頂いた。(Yahoo!ニュースエキスパート「10万人の宮崎勤はあったのか?」より)

©橋本昇

 青山氏の仮説は目撃証言に頼りすぎていて、その精査も怪しいとなれば、仮説としても問題があるだろう。

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ミサイルの種別について区別がついていないのではないか?

 青山氏は乗客が撮影した写真解析(どこの研究機関が解析したかは明らかにされていない)や目撃証言から浮上した「赤色のだ円、または円筒形のもの」に着目し、低空で右旋回中の飛行機の左側腹部にピタッとついてきた物体として、それがミサイルであると推測して次のように書いている。

なお、このような武器については、一般の方でもわかりやすいように基本的なことだけを書いておく。以下ミサイル開発の歴史について簡単に述べる。

 

ミサイルの第一世代(1956年~1973年)は、ミサイルをワイヤーでつなぎ、そのワイヤーをひきながら飛行する型式であった。第2世代(1970年~1985年)から、そのワイヤーによる有線誘導方式にプラスして、照準装置による赤外探知機を使って、ズレを修正する半自動方式となった。これで命中率が向上したという。第3世代に入った1985年当時は、有線方式からレーザー・セミアクティブ誘導方式への移行期であり、その後命中率をさらに上げるために様々な誘導方式が考案された時期である。(以下続く)

 

青山透子『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』

©橋本昇

 筆者はこれを読んで頭を抱えたし、これを読んでいる少し軍事に詳しい方も同様かもしれない。これは陸上で車両に向けて撃つ対戦車ミサイルの解説(にしてもおかしいところがある)で、およそ日航機とは関係ない。青山氏はミサイルの種別について区別がついていないのではないか? だが、これはあくまでミサイル全般の概説と擁護できるかもしれない。