しかし、『日航123便墜落の新事実』に続く『日航123便墜落 遺物は真相を語る』では、筆者の推測を裏づける青山氏の「仮説」が登場した。

八月九日に日本海側(若狭湾)での国産巡航ミサイルの飛行テストが無事成功したのはよいが、なぜ今度は相模湾で行ったのかがまず疑問である。ある軍事関係者の詳しい話では、次の訓練として大型爆撃機または大型輸送機をターゲットとして訓練したのではないだろうかということであったがこれはあくまでも仮説である。特に、考えられるとすれば、当時のソビエト連邦が一九八三年に初飛行を行った空中給油機イリューシン78(Ⅱ-78)を模したジャンボジェットが狙われたのではないだろうか。

 この引用でいう「国産巡航ミサイル」とは、開発中の地対艦ミサイルSSM-1のことである。軍事の一般常識として、軍艦を狙うミサイルで航空機をターゲットにするのは考えにくいし、SSM-1に当然その機能はない。いったい、こんなことを主張する「軍事関係者」とは、どういう人なのだろうか? そして、これを鵜呑みにする青山氏は、ミサイルの種別を混同しているのではないか?

©橋本昇

 あるいは、青山氏が掲載している1985年8月11日の読売新聞記事にある、開発予定の空対空ミサイルのことを指している可能性もある。しかしその場合、記事文中の「来年度から空対空ミサイル(短距離、格闘用)と空対艦、艦対艦巡航ミサイルの開発に着手する」を読み取れていないことになる。

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 まだこの時点で存在しないミサイルをどうやって試験するのか? このことは、防衛庁技術研究本部(当時)がまとめた『防衛庁技術研究本部五十年史』の開発線表でも分かる。ここでいう空対空ミサイル、後の90式空対空誘導弾は昭和61年度に試作が始まり、技術試験は昭和62年度からである。1985年(昭和60年)には存在しない。

 90式空対空誘導弾の開発線表(『防衛庁技術研究本部五十年史』より)

 一方で、「国産巡航ミサイルの洋上飛行実験中に突発的事故が起きて、日航123便の飛行中、伊豆稲取沖で垂直尾翼周辺に異変を発生させた」という推測を青山氏は記している。SSM-1は巡航ミサイルだが、空対空ミサイルは巡航ミサイルではない。

 日航機に異変を生じさせたミサイルはなんなのか、青山氏の記述からははっきりと分からない。間違いなさそうなのは、青山氏はミサイルの種別について混同しているということだ。