駅周辺に残る“全盛期の面影”
長野電鉄屋代線の廃駅で、駅舎がいまも残っているのは松代駅、そして信濃川田駅の2つだけだ。それ以外はどれも取り壊されて空き地になっている。松代駅にしても取り壊しが決まっている。
いずれも開業当初からの古い木造駅舎。文化財としての価値はあっても、残しておくにはお金もかかるし耐震性に問題がある、ということなのだろう。
実際、信濃川田駅の駅舎の中には、「強い揺れを感じたら外に出てください」といった注意書きがあった。開業から90年間の歴史を重ねた駅舎が消えるのは寂しいが、耐震性を言われたら返す言葉もない。
それでも、松代駅も信濃川田駅も駅舎の中は、廃止当時のままの姿を留めている。
運賃表や時刻表も掲示されているし、信濃川田駅はホームもその下のレールまで残っている。なんでも、廃止後に映画撮影で使われたこともあったとか。映画撮影のために整備されたから10年以上たってもキレイなままに残っているのだろうか。
さらに信濃川田駅、駅舎を出た脇の自動販売機やロータリー、国道まで通じている駅前の小さな商店街と、すべてが鉄道全盛期の面影を保つ。
信濃川田駅の西側には、川田宿という伝馬宿の町並みがこれまたほとんどそのままに残っている。
駅舎は大正時代、川田宿は江戸時代。真田の城下町がそっくり残っているような松代といい、長野電鉄屋代線の廃線跡に連なる町は、重ねた歴史がいまにそのまま伝わっている。信越本線という大動脈から外れて近代都市になりきれなかったが故にだろう。
駅舎は取り壊されても、跡地はほとんどがそのまま空き地になっている。だからどこに駅があったのかは一目瞭然だ。廃線跡は舗装された遊歩道になっている区間と、そのままほったらかしになっているところが代わる代わる。
駅の周りには小さな集落が広がり、少し離れると田んぼや果樹園が広がる。のどかな、昔ながらの日本の里山風景だ。
そうした中を、屋代線の電車は走っていた。







