パパのがん告知、病気を隠して続けた俳優業
「うちは代々、がんになってるんだよ」
「アンナも気をつけろよ」
面と向かって、そういったことを言われたことはない。がんにまつわる話をされたのは、お風呂での件をふくめて数えるほど。言われなくても、パパのそばにいるだけで、がんが身近な病気であること、ちゃんとした治療を受けることが大切だと知った。パパは無自覚だったろうが、身をもってがんについてのあれこれを教えてくれた。
パパががんになったのは、36歳のとき。1974年の夏で、私は2歳だった。
いきなり片方の睾丸が腫れて、戸越銀座で内科と小児科の梅宮医院を開いていた祖父に相談したら「炎症だろ」の一言で済まされてしまった。睾丸はどんどんと腫れ上がり、祖父の知り合いだった町医者のもとに駆け込んで切除してもらった。
でも、予後が悪いので摘出した睾丸を新宿の国立病院医療センター(現:国立国際医療センター)に持ち込んでみたら、睾丸がんで転移の可能性ありと診断された。レントゲンを撮ると、左肺の肺門リンパ腺に転移してピンポン玉くらいの腫瘍ができているのが見つかった。
当時は「あなたはがんです」と本人に告知しなかった。パパも詳細を知らされずに、祖父母にだけに告知されていた。
「ひょっとしたら、2ヶ月もたない可能性がある。もって3ヶ月。全力を尽くすが、最悪の事態も考えておいてほしい」
ようするにステージ4の末期。祖父母は余命3ヶ月だとパパに言えなかった。でも、パパは自分がのっぴきならない状態にあることに気づいていたらしい。
私とママを連れて実家に顔を出すたびに祖母が「辰夫、体だけは大事にするんだよ」とワナワナ泣き出し、私たちが乗った車が見えなくなるまで祖父母がなんともいえない表情で手を振り続ける。
「なんだか、おかしいぞ……俺は死ぬのか」と、思わざるをえなかったそうだ。
後日、パパも医師から告知を受けたが「早急に治療すれば、1ヶ月半くらいで治るでしょう」と祖父が聞かされた告知とは真逆のものだった。
がんを患ったことで、パパはそれまでの自分の行いを反省したそうだ。“昭和のスターあるある”かもしれないが、パパは“夜の帝王”の異名を持つほどの遊び人として有名で、『夜遊びの帝王』『女たらしの帝王』なんてズバリすぎるタイトルの主演映画もあるくらいだった。
毎晩のように銀座のクラブをハシゴするなかで、ママと出会った。モデルをしていたママがバイトでクラブに出ていたら、そこへパパがやってきてビビビッと惹かれ合ったそうだ。
私を授かって結婚したわけだけど、パパはあまりに遊び歩いていたから、なにかバチが当たるんじゃないか、私が無事に生まれないんじゃないかと不安になったそう。それだけに「母子ともに健康です」と告げられて、生まれたばかりの私を抱いたときは安堵と喜びでどうにかなりそうだったらしい。
ホッとしたのも束の間、私が生まれて2年で睾丸がんになり、転移して肺がんになってしまった。これがバチだったのかと打ちひしがれ、自分が死んで私とママが路頭をさまようことになるくらいだったら、結婚をして子供をもうけるべきじゃなかったと後悔したそうだ。

