病気に因果なんてまったく関係ないけど、パパがそう思ってしまったのは理解できる。だけど、悲嘆に暮れたままのパパじゃなかったし、それがパパの強み。パッと気持ちを切り替えて、治療に打ち込んだ。
治療法は、抗がん剤と放射線のふたつ。俳優だから体に傷を残したくないと、切開手術は避けている。丸山ワクチンを打ったり、サルノコシカケを煎じて飲んでみたりと、自由診療や民間療法にも手を出していたそうだけど、はじめてがんに罹患した恐ろしさと不安から頼りたかったのだろう。私も結果を早く知りたいあまりに、胸専用のMRIを受けたくらいだから、これも理解できる。
いまは抗がん剤の副作用である吐き気に対処する薬も投与できるけど、当時はなかったから嘔吐を繰り返していた。加えて、放射線治療も通常の3倍の量を照射していたので、放射線が胸から突き抜けるようにして背中まで焼けて黒くなってしまった。しかも治療スケジュールは、抗がん剤の投与も放射線の照射も3日おき。
切開手術の拒否、3倍の放射線。無謀というか豪快な治療だが、パパ自身の体力が相当なものだったから可能だったのだろう。それを裏付けるように、抗がん剤の副作用で嘔吐はしていたものの、髪の毛はまったく抜けなかったそうだ。しかも「タバコは肺に悪い」と考えて、紙巻きタバコからパイプに変えて吸っていたとのこと。禁煙せずに吸い続けていたのは、「さすがにどうなの?」という気もするけど。
闘病中でも仕事を休もうとはしなかった。『仁義なき戦い』『不良番長』といったドル箱シリーズに出ていた人気俳優だけに、病気だと知られたらイメージに差し支えて仕事も減ってしまう。それを避けるために、病気のことを徹底的に隠して俳優業を続けた。まさに“昭和の芸能界”ともいうべき姿勢だけど、「休養します」と宣言してがんであることを隠すだけならまだしも、仕事もしていたのには恐れ入る。
病をおして主演を務めたのが『不良番長』シリーズの第17作『極道VS不良番長』。パパが演じる主人公の神坂弘は、いつもならバイクにまたがって、銃を撃ったり、刀を振り回しているのに、この作品では入院中の設定でベッドに寝ている。それは、抗がん剤投与と放射線治療の副作用で動けなかったからだ。がんの治療をしながら映画に出てしまうパパもすごいけど、病気であることを設定に活かしてしまう当時の映画界も相当だなと思う。
「約500人の患者のうち、助かったのは梅宮さんを含めた6人だけ」
医師から「1ヶ月半ほどで治るでしょう」と言われて治療に臨み、左肺の腫瘍は小豆大になったがなかなか消えなかった。年を越してからの検査で腫瘍が消えていなかったら、手術するしかない。そう医師に告げられて覚悟したそうだが、レントゲン写真にはそれまであった腫瘍が映っていなかった。抗がん剤と放射線をメインにした1年間の通院治療で寛解してしまったのだ。
「昨年、同じ症状のがん患者が約500人いたけど、助かったのは梅宮さんを含めた6人だけです」
レアな寛解例だと医師はビックリしていたという。なんでも奇跡的な寛解を果たした10人のうちの1人として、国立がん研究センターにはパパの記録が残されているそうだ。これが本当ならば、どこかのタイミングで記録を見せてもらいたいと考えている。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
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