「中国戦線での蛮行はいくつかあったが、組織だって行われるようになったのは、あの南京大虐殺からです。捕虜を片っぱしから殺す、強姦、放火、略奪、それを日本陸軍のシステムとして行っている。あれはもう論外です。
私は、たしかに戦犯として裁判を受けたし、それに値することを行った。その私からみても、あの南京大虐殺は私も当時くわしく聞いていますが、あまりにもひどすぎる。あれがなかったことだとか、そんなにひどいことをしたわけではないという言い方は、基本的に少しもあの時代と精神構造が変わっていないということだ。
あのとき、南京大虐殺は中国を殲滅したという大ニュースにすりかわっていたわけで、私も胸をおどらせました。あの虐殺を認めたくないといわんばかりの政治家や学者の発言など、日本陸軍の実態を検証していないがための不勉強にすぎない」
銀座の奥まったレストランで、鵜野は長い話を終えると、そう述懐した。
なぜ昭和陸軍は南京大虐殺を引き起こしたのか
南京大虐殺があったとかなかったとか、そういう論よりも、なぜ日本軍はあれほどの蛮行に走ったのか、それを解明するために日本陸軍の体質、組織原理、そして兵士教育などが徹底的に検証されなければならない。そのために自分は恥を忍んでこうして語っている、と鵜野はいうのであった。
私の手元にいま、2つの資料がある。
1つは、1990年11月19日号の『人民日報(海外版)』である。1989年秋に石原慎太郎代議士(当時)が南京大虐殺を否定的に語った発言に怒りを示した「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」の張益錦館長の原稿が載っている。ここで張は、歴史的事実を曲解させることを許さないといって、当時の様子を記述している。
さらに、1984年に調査したところでは、このときまだ1756人の生き証人がいて、彼らからその目撃談を聞くことができたといっている。この紀念館には、日本人の若い世代も訪れ、当時のすさまじい蛮行に改めて驚いているといったエピソードが紹介されている。
もう1つの資料は、台湾の中央研究院の李恩涵研究員(カリフォルニア大学歴史学博士)の石原発言への抗議を認(したた)めた文書だ。具体的に石原発言には根拠がないことを指摘している。
そのうえで、殺害した兵士、市民の数、そしてそれらの行為を正当化しようと試みる論はいっさい許されないといい、「このような正義感を欠いた行動は、世界中の中華民族を激怒させるとともに、彼ら新軍国主義者と徹底的にわたりあうことを決意させるものである」と書いている。この原稿は日本で自由に発表していいというのであった。



