「参政党が創る新日本憲法」の問題点
いずれにせよ神谷や参政党議員や候補者たちの発言は、歴史に学ぼうとしない者が基本的人権を蔑ろにし、弱者や少数派に対して抑圧的に振る舞おうとしているように感じられることは確かなのである。
参政党は現行憲法を改定する「改憲」ではなく、国民自身が一から憲法を創る「創憲」を提唱し、「参政党が創る新日本憲法(構想案)」を発表している。読んでみると、国民主権、人権規定、戦争放棄が書かれていないこと、また「国民の要件」がはらむ差別性など、これまで批判的に指摘されている通りであった。国民の権利を守り、国家権力を規制するという憲法の役割からは程遠い感がある。
天皇の捉え方について触れておく。「参政党が創る新日本憲法」の前文にはこうある。
《天皇は、いにしえより国をしらすこと悠久であり、国民を慈しみ、その安寧と幸せを祈り、国民もまた天皇を敬慕し、国全体が家族のように助け合って暮らす。公権力のあるべき道を示し、国民を本とする政治の姿を不文の憲法秩序とする。これが今も続く日本の國體である》
また、「第一章 天皇」にはこう書かれている。
《日本は、天皇のしらす君民一体の国家である》《天皇は、国民の幸せを祈る神聖な存在として侵してはならない》《天皇は、元首として国を代表し》
「國體」「君民一体」「神聖な存在として侵してはならない」「元首」……大日本帝国憲法下の天皇観を甦らせようとするかのような復古的な色彩を帯びた言葉が並ぶ。これらの文言は戯画的に響いて時代を上滑りしていくように私は感じるが、いまの国家主義的な潮流のなかで危険な作用を持ちかねないので、あえて踏み込んでおきたい。「新日本憲法」にあるような認識は、戦争への反省の上に立って、戦後80年かけてつくり上げられてきた象徴天皇制、つまり天皇と国民の間の信頼の回路を損ねるものであると私は思う。
戦時下、軍事指導者は天皇制を巧みに利用した。軍の最高指揮者である天皇の意思は、我々軍人によって具現化されるという認識を打ち出したのである。天皇と直結している軍人こそが日本の主役なのだ、という発想であった。そして、天皇を神格化する軍事精神によって国民が一体化しなければ大日本帝国は立ちゆかないと軍事指導者は考えていた。これが、「國體」「君民一体」の現実的なありようであり、太平洋戦争の惨禍はこの構造のなかで生じた。
歴史の教訓に学んでいれば、「新日本憲法」のような天皇観が生まれるはずがない。
※本記事の全文(約11000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2025年9月号に掲載されています(保阪正康「国家主義的右派政党の不気味な挑戦〈「日本の地下水脈」スペシャル〉」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
・歴史修正主義者が出番を待つ
・国家主義的右派政党
・安倍支持層が参政党に
・世界的な国家主義の勃興
・国家主義者が語る「伝統」の嘘
・非戦の知恵を受け継ぐ
出典元
【文藝春秋 目次】大座談会 保阪正康 新浪剛史 楠木建 麻田雅文 千々和泰明/日本のいちばん長い日/芥川賞発表/日枝久 独占告白10時間/中島達「国債格下げに気を付けろ」
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