金子さんが目撃した“信じられない光景”
「早くお母さんのところへ行きなさい」と近所のおばさんが叫ぶ。エミちゃんと別れ、父母と姉の3人を探すことはできたが、中学生の兄と「住み込み」の2人の姿はなかった。もはや探している余裕はない。4人で市中心部を流れる柿川へ走った。
そこでは信じられない光景を目にした。川面が炎を上げて流れていたのだ。
引き返す時、逃げ惑う人々の中で父親と姉を見失った。
金子さんは母親と2人で逃げ回る。
町内は火に包まれ、木がごうごうと燃え上がった。火の粉が吹雪のように吹きつけ、防空頭巾の上に被った布団に火がついた。防火用水に布団を浸して走る。
そして空き地にゴミを捨てるため掘った穴に倒れ込んだ。既に何人かがしゃがんでいた。
2人はもう動けなかった。母親は「ここで死のう」と言いながらも、あがいた。穴の横の土を手で掘り、「口を入れろ」と言う。その通りにすると、少し呼吸ができるような気がした。だが、金子さんはだんだん「眠ったように」なっていった。
気がつくと、穴の外に出た母が、上から引っ張り上げようとしていた。男の人が金子さんの尻を押し上げてくれる。火が収まったわけではなかった。母は燃え盛る空き地の中に、柿川へ続く一本の道を見たのだった。それが「最後の道だ」と信じて、2人は力を振り絞って走った。
再びたどり着いた柿川では川面の炎が収まっていた。布団を被ったまま飛び込み、なんとか助かった。
空襲を生き延びた朝に見たもの
夜が明けると、長岡の街は変わり果てていた。
黒い焼け野原が広がり、木が黒こげになって立っていた。焼けただれた人が転がり、炭のようになった人が折り重なっていた。犬も死んでいた。母親と娘らしい人は赤ちゃんを間に抱いて死んでいた。
生きている人は皆、呆然と立ち尽くしていた。
川の中で手を滑らせて2人の子を流してしまった人。抱いていた子を炎に落としてしまった人。死んだ赤ちゃんをおぶったままの人……。
防空壕にいた人は蒸し焼きのような状態になり、ほとんど助からなかった。一度は逃げ込んだゴミを捨てるための穴でも人が死んでいた。
遺体を積み重ねて焼く煙が空を覆う。石垣に寄り掛かって死んだ人の形が、そのまま影のように並んで、いつまでも消えなかった。
兄と住み込みの2人は逃げ延びていたが、はぐれた父と姉は行方不明になり、ついに見つからなかった。
金子さんは空襲の話を一切しなかったが、年月が経つうちに考えを変えた。
「驚きと無念のうちに命を落とした人々のことが忘れられるのは、あまりにも哀れでした。いま、私は皆さんにこう語りかけます。『これは一人の女の子が見た戦争です』と。あのときの私はもう79歳。火の中に消えた命がもう一度、人の心の中に生きることを願うのです」
手記をそう結んだ。
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