片渕は当時を回想したそのトークで、このとき「もうひとりの自分」を扱った経験が、のちの高畑作品に影響を与えたのではないか、という仮説を語った。確かに『火垂るの墓』と『おもひでぽろぽろ』は、どちらも原作に存在しない「もうひとりの自分」を導入することで映画が作られている。

映画『この世界の片隅に』(2016年公開)などを手掛けた片渕須直監督 ©文藝春秋

高畑監督のノートに書かれた“F”の意味は

 幽霊の清太が登場することになったのは、脚本の開発の段階である。高畑は脚本執筆にあたり、原作のコピーを切り貼りしたノートを使用した。この作業で使われたノートが、8月2日にNHKEテレで放送されたETV特集『火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート』の中で詳しく紹介されていた。

 同番組によると、ノートは作業の段階によって使い分けられ、最終的に7冊のノートが残されているという。小説のコピーを切り貼りしただけの1冊目。時間や舞台に関する記述にマーカーなどで印がつけられた2冊目。徐々にシーン内容などについて具体的な書き込みの出てくる3冊目、そしてより脚本に近づいた4冊目になって映画冒頭のプランとして「(F.I)なにかを注視する清太(F)UP」という書き込み*が登場する。
*(F)=原本では丸の中にF

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 ちなみにこのノートの一部は、『高畑勲展─日本のアニメーションに遺したもの―』(2019)、『高畑勲展―日本のアニメーションを作った男。』(2025)の展覧会図録でも見ることができる。

ETV『火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート』で公開されたノート(NHK番組ページより)

 番組に出演した早稲田大学文学学術院教授の細馬宏通は、この(F)について、高畑がフランス語に堪能だったことを踏まえ「fantôme(ファントム)=幽霊」の頭文字であろうと解説している。こうして映画は、幽霊の清太から始まることになったのだ。

幽霊の清太が登場する“3つのシーン”

 幽霊の清太が登場したことで、観客は映画を清太の気持ちに寄り添いながら見る一方で、幽霊の清太の視線で客観的に見ることになった。幽霊の清太が登場するのは映画冒頭以降だと、「母のお骨を抱えて、居候している親戚のおばさんの家に帰るシーン」、「おばさんが米にするからと、母の形見の着物を持っていこうとするシーン」、「池のそばの横穴に避難して、おばさんの嫌味を思い出すシーン」の3つである。

映画『火垂るの墓』Netflix公式Xより

「お骨を抱えて帰宅するシーン」で、清太はまだ母が生きているかのように振る舞う。「形見の着物」のシーンでは、自分の姿を注視するほかのシーンと異なり、過去の自分と節子の振る舞いから耳を塞ぎ目を背ける。「おばさんの嫌味を思い出すシーン」は、おばさんの家を出て、横穴で暮らし始める展開の予兆となっている。