映画『火垂るの墓』を見るということは、主人公・清太とはどんな少年だったのかを考える、ということだ。太平洋戦争末期、14歳の清太は、4歳の妹・節子と池のそばの横穴でままごとのような同居生活を送り、そして死んでいった。1967年に発表された野坂昭如の短編小説が原作で、1988年にアニメーション映画が公開された。
死者となった清太が、過去の自分を見つめる
映画は「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」という台詞から始まる。これは原作の「何日なんやろな、何日なんやろかとそれのみ考えつつ、清太は死んだ」というくだりを踏まえ、「清太」を「僕」に置き換えたものだ。そして死者となった清太が、過去の自分を見つめる形で映画は語られていく。原作にはないこの構造を導入したのは、本作の脚本・監督を務めた高畑勲である。
2024年の新潟国際アニメーション映画祭で、「高畑勲という作家のこれまで語られていなかった作家性」というトークイベントが行われた。登壇したのはアニメーション監督の片渕須直と、日本アニメーション学会会長の経験もある日本大学文理学部心理学科特任教授の横田正夫。ふたりは日大芸術学部映画学科の同窓でもある。このとき片渕が語ったエピソードが印象に残っている。
「もうひとりの自分」を扱った経験
片渕の、アニメ業界におけるキャリアのスタートは、テレコム・アニメーションフィルム(テレコム)という制作会社だ。そのころ高畑もまたテレコムで、日米合作でウィンザー・マッケイの『リトル・ニモ』の映画化に取り組んでいた。高畑は、スタッフを交えたストーリー・ミーティングを行い、片渕はそこで書記役を務めることになった。
ストーリー・ミーティングの大きな目的は、SF作家のレイ・ブラッドベリが同作のために出したアイデアを、いかに具体的に映画にしていくかを考えることだった。ブラッドベリによるアイデアとは「夢の世界に入ったニモは、自分から分裂したもうひとつの人格オーメンと出会う。オーメンに導かれるように夢の世界の深部に潜り込んだニモは、オーメンを倒して現実世界への帰還を果たす」というもの。オーメン(OMEN)は、ニモ(NEMO)の逆さ綴りである。





