今年1月の初場所中に現役引退を表明した元横綱照ノ富士(33)。この6月には、それまでの師匠であった元横綱旭富士の定年退職により伊勢ヶ濱部屋を継承し、「十代伊勢ヶ濱親方」となった。その現役時代や、「親方」としての意気込みを語る。(取材・構成 佐藤祥子)

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新親方と相撲との出合い

 小さい頃から足は速かったのですが、本格的にスポーツに取り組んでいたわけではなく、バスケットボールやサッカーを遊びでやる程度。大学に入って柔道を始めましたが、それも1年程度のことです。

 当時は日本で朝青龍関や白鵬関などが大活躍していて、モンゴルでも大相撲が人気でした。体が大きかった私は、周囲に相撲を勧められたのをきっかけに、白鵬関のお父様に日本の相撲界との縁を繋いでいただいた。初来日の時は尾車部屋(元大関琴風)に1週間ほど滞在させてもらい、初めて相撲部屋の存在を知りました。

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伊勢ヶ濱春雄氏 Ⓒ日刊スポーツ

 この時はまだ「どうしても力士になりたい」という強い気持ちではなく、「もし縁があれば」くらいの気持ちでしたが、18歳の時に大学を1年で中退し、鳥取城北高校の相撲部に留学するため、日本に渡ったのです。この時、のちに幕内で活躍する水戸龍と元関脇の逸ノ城も一緒でした。

 体は大きく、力もありましたが、筋肉がなかったので最初はまったく相撲になりませんでした。それでもその年の夏のインターハイで団体優勝。高校生活を約8カ月送り、2011年5月技量審査場所で、元横綱二代目若乃花を師匠とする間垣部屋から初土俵を踏みました。

 当時の間垣部屋は7人ほどの小さな部屋で、十両だった若天狼関や、のちに私の付け人をしてくれることになる兄弟子、呼出さんが一から面倒を見てくださいました。「なんでこんなに口うるさいんだ」と思うこともありましたが(笑)、今となっては感謝しています。