私が先生のお世話をした20年間は、思えば子どもの頃の夢がかなったような時間でした。子どもの頃、詩を書いたり俳句を作ったりして暮らしながら、世の中の経済や一線で活躍する文人のそばで、そういう人の生き方を見てみたいという思いがありました。でも、そんな人は周りにはいないし、私の才能ではそんな人のそばにいられないと、すぐに諦めた夢でしたが、きっと心のどこかに残っていたのでしょう。

94歳で亡くなったやなせを看取り、本にまとめた

暢さんから「うちで働かない?」と誘われて働き始めた時、「これはもしかすると私が子供の時に願った生活ではないか」と思いました。先生は絵を描いたり、詩を書いたり、エンターテインメントの仕事をしているけれど、どこか霞(かすみ)を食べて生きているような、現在の世の中から少し浮世離れした部分もありました。同時に、アニメーションという最も厳しいエンタメの世界でも生きている。これこそ私が望んでいたことでした。

働き始めた頃、暢さんには何度も「絶対辞めないで」と言われ続けましたが、辞めないでよかったと今では思います。自分が願っていた生活ができて、大変だったというよりも面白いことばかりの、あっという間の20年でした。

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『やなせたかし先生のしっぽ やなせ夫婦のとっておき話』(小学館)では、やなせ先生が2013年、94歳で亡くなったときのこと、その間際の闘病生活についても、最期を看取った者として詳しく書き残しました。やなせ先生の作品に接する方々がその背景を知りたいと思ったときに、私の記憶がひとつの助けになれば、うれしいです。

越尾 正子(こしお・まさこ)
やなせスタジオ代表取締役
1948年、東京都生まれ。高校卒業後、事務関連の仕事をしながら、趣味で習っていた茶道で柳瀬暢(やなせたかし夫人)と知り合い、1992年に、やなせスタジオに就職。その後、株式会社となったやなせスタジオの代表取締役に就任
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