「テントの中でずいぶん泣きました」

 子役で芸能界に入ったため遠足さえ行ったことのなかった彼女は、キャンプ生活などもちろん生まれて初めてだった。そのためこのときの遠征では、人間関係にも悩まされたという。これについては後年、《一回目の遠征は人間関係が辛かった。内弁慶なところがでて、すぐに孤立してしまうんですね。(中略)それから寒くて色のない世界で思考能力が極限状態になってしまう。人前で泣いては悪いと思って、個人テントの中でずいぶん泣きました》と明かした(『週刊文春』1990年11月8日号)。

※イメージ写真 ©AFLO

 そのことはほかの隊員も薄々気づいてはいたが、隊員の一人は《だけど我々の前で[引用者注:和泉が]弱音を吐いたことは一度もありませんよ。それには敬服しました。もともとすごく明るい人ですから、しばらくして慣れると、もうテントの中で歌を歌ったりしてた》と証言している(『週刊文春』1985年5月23日号)。そんな和泉の我慢強さ、明るさのおかげで彼らも必死に頑張ることができたのだろう。

初挑戦は、到達を目前にして断念

 そうやって前進しながらも、北緯88度40分の地点まで達した5月22日、予定ではあと2日で北極点というところで、大きなリード(氷の割れ目)に阻まれてしまう。和泉は隊長として自ら退却を決断したが、ショックで1日半泣き通し、死ぬことすら頭をよぎったという。しかし、生きてさえいれば何度でも北極点に行けると思い直し、再挑戦を期して、その場をあとにした。

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北極点到達を目前で断念し、雪焼けした顔で帰国した和泉雅子さん〔1985年撮影〕 ©時事通信社

 出発前、極地では脂肪が必要というので57キロだった体重を63キロにまで増やした和泉だが、遠征のあいだに5~6キロは落ちたという。それでも遠征を経験して彼女はすっかりたくましくなっていた。同時に北極に懲りるどころか、ますます魅せられた。

 俳優の仕事にもよい影響があったようだ。帰国後に予定どおり出演した舞台では、太ったおかげで正座しても中腰に見えてしまい、えらいことだなと思いながらも、《でもこんなにさわやかに、快くお芝居が出来たのは初めてでした。それまでは、誰かの機嫌をそこねてはいけないと思って、ピリピリしながら仕事をしていたわけですから、私はふっきれたと思いましたね。芝居もよくなったといわれました》(『週刊文春』1990年11月8日号)。