全財産を注ぎ込み、借金もして北極へ
1985年1月、出国を目前に、朝日新聞で計画がとりあげられたのをきっかけにマスコミの取材が殺到、記者会見も開くことになる。各スポンサーもようやく彼女が本気だと知って物品も次々と集まった。しかし、資金不足はあいかわらずで、1億円以上必要とされたのに記者会見までにわずか7000円しか集まっておらず、記者から「7000万円の間違いでは?」と訊き直されるほどだった(和泉雅子『私だけの北極点』講談社、1985年)。それでも彼女は全財産を注ぎ込み、足りない分は借金した。
所属プロダクションには産休だと思って我慢してほしいと説得して、長期休暇をとる。つきあいの深いドラマプロデューサーで舞台演出家の石井ふく子は帰国後の彼女のため、その年の11月の舞台公演で役を用意し、「これをやるために帰ってきなさい」と言ってくれた。
和泉以外は全員男性
遠征を前に、極地での寒さに慣れ、必要な技術の習得のためカナダ・レゾリュートで50日間にわたって訓練を行い、同年3月23日、いざ北極点に向け、カナダ最北端の島であるワードハント島から和泉ら日本人3人とガイド役のイヌイット(カナダ・エスキモー)3人による遠征隊が、スノーモービルでソリを牽引しながら出発した。彼女以外は全員が男性である。
最初の数日はすべて他人任せの“お客さん状態”だったが、ほかの隊員が道をつくるため何メートルも続く氷の山を切り崩しているのを見ていると、とても何もせずにはいられなかった。スノーモービルが深い雪にはまって止まってしまわないよう、和泉は地面を這いながら全身で体重をかけて雪を固めていった。乱氷群が立ち塞がると、大きな氷を棒でつついて落ちてきたのを砕いて取り除いた。おかげですっかり筋肉がつき、帰国したらもう二枚目の役はできないだろうから『キン肉マン』の実写化の主演をやろうなどと本気で考えたりもしたという。
生理、トイレ…女性特有の悩みも
女性特有の悩みもあった。生理になると、血の匂いを嗅いでシロクマがやってくるのを防ぐため、彼女だけ2日間テントにこもった。小用を足すのも初めのうちこそ大きな乱氷に隠れてしていたが、だんだん氷が小さくなり、そもそも誰も見ないとわかって気にしなくなったという。《とにかく、恥しいっていうよりも、オシッコする方が先ですから、でないと、死んじゃいますからね》と彼女はのちにあっけらかんと語っている(『文藝春秋』1987年7月号)。
