このように様々なエンタメでスペシャルな存在感を放っていた堀北真希。ところが彼女は活動期、インタビューやバラエティ、制作発表の場などで、常に「芸能界にも芸能人にも興味ない」オーラを放っていた。早くから「堀北真希は早めに役者をやめる」と感じていた方も多かったのではないだろうか。
堀北真希がこの世界に入ったきっかけは、バスケットボールにいそしんでいた中学2年生の夏、部活の帰り、畑でスカウトされたことである。かなり変わった状況である。まさか渋谷や原宿のように、光る原石を探し、スカウトが無作為に畑の近くをウロウロしていたとは考えづらい。事務所が堀北の評判を聞きつけて、待っていたのではないだろうか。
オーディションに合格→「大泣きしました。嫌で」
何度も誘いを受けるも、堀北は女優になりたいという気持ちはなかったと言う。「Omosan Street」のインタビューで、本人がデビュー当時を語っているが、「絶対受かるわけないから」と言われて行った映画『COSMIC RESCUE』(2003年)のオーディションで合格したとき、
「大泣きしました。嫌で」
と答えている。「嫌で」が後につくのが彼女らしくて面白い。
つまり、堀北真希の俳優人生のスタートは、「動かないからとりあえず乗ってみろ」と言われ乗せられたのが行き先の分からない特急だった、という感じで、ただただ恐ろしかったに違いない。そして彼女の戸惑いに反して、その列車はスピードを上げ、スター街道を突き進んでいく。
泣いて嫌がったという映画『COSMIC RESCUE』の公開から3か月後にはもう、ドラマ「ケータイ刑事 銭形舞」(BS-i、2003年)でドラマ初主演を果たしている。「ケータイ刑事」は、1985年に大ヒットした「スケバン刑事」の、女子高生が秘密刑事、というトンデモ設定を踏襲している。当時彼女は14歳。ドラマのOPでは見事なパラパラを披露していたが、きっと、自分がなぜそんなダンスを踊り、「謎は解けたよワトソン君」と言わされているのか、訳が分からなかったことだろう。
しかしその可憐な姿は、彼女が武器として操るケータイの最新機種とともに世の中に広がり(「ケータイ刑事」のスポンサーはNTTドコモ)、放送終了後、すぐにドラマ「人間の証明」(2004年)のレギュラーが決定。2005年に入ると、映画『逆境ナイン』『ALWAYS 三丁目の夕日』、ドラマ「電車男」と、引っ張りだことなった。

