「日本」が出ない抗日?
全員起立で中華民国国歌を斉唱して三民主義を讃え、音楽会の開始である。大音量の音楽とともに、國軍の芸工隊(軍隊芸能団)の男性たちが、普通のダンスルックで飛んだり跳ねたりする背景に、「抗戦」「勝利」の文字が浮かび上がった。さらに今度は、歴史を振り返るというテーマで、走り続ける往年の國軍の軍服姿の男性の背景に、建軍から日中戦争当時の主要な戦役と年号が浮かび上がっていく。
しかし、見ていて不思議なのが、「どこの国と戦ったか」が明示されない──つまり、日本というワードがまったく出てこないことだった。いっぽう、中国というワードも出てこない。その後に軍側の男性司会者と、有名な女性司会者が登場してトークがはじまったが、自国のことは「わたしたちの国」「中華民国」と言っているだけだ。どことどこが戦った戦争を記念しているんだ?
舞台上の歴史劇では、往年の抗日音楽が演奏されていたが、すべて歌詞なしのインストゥルメンタル。予備知識がなければ、普通の「懐かしい調べの曲」だ。それに合わせて演じられる歴史ミュージカルでは、出征兵士と恋人との別れ(なんだかワルツっぽいダンスを踊っていた)や傷病兵を守るシーンなども出てくるが、肝心の「敵」が出ない。仮に中国大陸でこの手の劇があれば、悪の日本兵が佃煮にするほど出てくるはずだが。
中盤からは連合国の支援を強調する内容に変わり、フライングタイガース(米軍が中華民国軍に乗員や機材を貸与した航空兵部隊)の歌。そしてアフリカ系の歌手が歌う「We Will Rock You」。いい歌だが、日中戦争とは関係がない。背景のプロジェクションマッピングでは、ひたすら当時の連合国との絆が強調されていた。中華民国は連合国と友達です、というメッセージだけは強く伝わった。
人気ヒップホップグループも登場
終盤に登場したのは、台湾の人気ヒップホップグループの玖壹壹(ナイン・ワン・ワン)だ。泥臭い地域カラーを隠さない、日本でいえば湘南乃風みたいなポジションの人たちである。3人のメンバー全員に軍歴があるらしく、軍隊トークで盛り上がる。いっぽうで楽曲は、台湾の原住民模様をサイケにアレンジしたプロジェクションマッピングに合わせて台湾語混じりで歌うという、兄貴的なヒップホップだ。
見ると会場の前のほうはけっこう盛り上がっている。おそらく、抗日戦争よりも玖壹壹目当てでやってきた若者のファンが前列席を占めているのだろう。いっぽうで隣を見ると、特殊部隊のOBである80歳前後のおじいさんたちが、理解不能な音楽と演出を前にして完全に固まっていた。
1970年代まで中国大陸に極秘潜入し、暗殺や橋梁爆破をやりながらモールス信号を打っていたリアル工作員の人たちに、ヒップホップはしんどいのだ。悪い兄貴のフリをして、本当は大して悪いことをしていない若者がリリックを口にできる社会はすごく平和なのである。


