戦後80年。今年の夏、日本人の多くはすでに耳慣れたワードだろう。石破茂首相の談話問題、議員の靖国参拝、再放送の『火垂るの墓』、映画『雪風 YUKIKAZE』。話題には事欠かない。
いっぽう、戦後80年は往年に日本と交戦した国々──。特に日本から戦争被害を受けた国にとっても大きな節目だ。なかでも動きが活発なのが中国で、9月3日には中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年記念式典という、軍事パレードをともなう大々的な行事が予定されている。中国共産党の勝利をたたえ、中国人民の愛国心と党の求心力を高めようとする、実質的には反日・愛国のプロパガンダ・イベントと考えていい。
だが、いっぽうでその陰に隠れているのが中華民国──。つまり台湾の「抗日戦争勝利」関連行事だ。
私は今回、そのイベントのひとつに行ってみたのである。これは中華民国国防部主催、台北国際会議センターで毎年8月20日ごろに開かれているものだが、今年は節目の年なので「第二次大戦記念および抗戦争勝利80週年音楽会」という名称でおこなわれた。
戦争がらみの“ややこしい”事情
音楽会それ自体をレポする前に、背景を多少説明しておこう。台湾は戦争がらみの歴史が非常にややこしい国であるためだ。
往年、日中戦争で日本と戦った相手は、当時の中国大陸を支配していた中華民国という国である。彼らは連合国と手を結び、最終的には日本の侵略を撃退した。戦後、日本は敗戦により海外植民地を手放し、そのひとつである台湾島は中華民国の統治下に置かれた(台湾光復)。
皮肉なのはその後の歴史だ。戦後の国共内戦に勝利した中国共産党が中華人民共和国を建国したことで、中華民国の国民党政権は、統治下に入ってほどない台湾に政府機能を移転させた。その後もしばらく、彼らは自分たちこそ中国の正統政権であると主張していたのだが、1990年代から体制の民主化が進む。
結果、住民の多数派である日本統治時代以前から台湾で暮らしていた人たち(本省人)の子孫が世論の主流を担うようになり、往年に中国大陸から渡った人たち(外省人)の子孫も、世代を重ねるごとに台湾社会に馴染んでいった。そもそも本省人と外省人の区別も、若い世代ほど薄れている。
そのため現在の台湾では、過去の台湾自身の植民地史についてはともかく、中国大陸の「抗日戦争の歴史」は多くの人にとって馴染みの薄い歴史になっている。だが、ここでややこしいのが、たとえ社会が民主化・台湾化しても「中華民国」という大陸由来の国家の枠組みは残り続けていることである。

