しかし、この「幸運」が彼女の人生を破壊することになる。
フランスの映画監督、脚本家であるジェシカ・パルー監督は、『ラストタンゴ』の撮影現場で実際に使用され、スクリプト・スーパーバイザーが書き込みを施したオリジナル脚本を入手した。そして驚愕の事実を発見する。
『タンゴの後で』公開を前にしたインタビューでパルー監督は筆者にこう述べた。
「あのシーンは、脚本には存在しませんでした。脚本上では、あのシークエンス(エピソード)は『暴力的な仕草』で終わるはずだったのです」
『ラストタンゴ』が公開されるやいなや大きな問題となった「バター・シーン」。これはマーロン・ブランドがバターを使って性交を行うシーンを指し、撮影当日に即興で追加されたものだった。驚くことにマリアは何も知らされていなかったという。
『タンゴの後で』はそのバター・シーンを事実に基づいて再現している。その時、撮影現場には複数の「眼差し」が交錯していた。
カメラのレンズが冷徹に見つめる。48歳の男優の支配的な視線が19歳の少女を捉える。そして周囲のスタッフたちの沈黙する眼差しが、暴力を黙認している。誰も「カット」と言わないし、誰もカメラを止めない。床に押し倒され、下着を脱がされたマリアを取り囲む、すべてが暴力を肯定する視線だった。権力を持つ者たちの視線に晒され、彼女は完全に無力だった。事前の同意もないまま、彼女の身体は無数の眼差しに消費されていく――。
マリアの目から流れる涙は、「演技」ではないことを証明していたが、それすらも「芸術的な瞬間」として切り取られていたのだ。彼女の苦痛は、男たちの視線によって「美しい映像」に変換されてしまったのだ。
このシーンについて、マリア自身が2007年のインタビューで生々しく証言している。
「あのシーンは脚本になかった。本当はマーロンのアイデアだった。撮影直前に初めて説明され、とても腹が立った。もし知っていればエージェントや弁護士を呼んでいたはず。マーロンは『気にするな、映画なんだから』と言ったけれど、実際のシーンで涙は本物だった。正直に言えば、マーロンとベルトルッチの両方にレイプされたような気分だった。撮影後、マーロンは私を慰めることも謝ることもなかった。幸いワンテイクだけだった」(デイリー・メール)