当時の私は世界のすべてを見下しながら生きていた

 その日、高校生だった私は家でしくしく泣いていた。

上坂あゆ美さん。©野口花梨

 当時の私は世界のすべてを見下しながら生きていた。家庭環境が複雑だったため、同級生に対し「お前らはいいよな、何の悩みもなくのうのうと生きやがって」などと内心蔑んでおり、悲劇のヒロインを気取りつつもシンプルに性格が悪かった。進路を決める際、私は「特にやりたいこともないくせに、親に高い金払わせてどうでもいい大学に行く奴らが信じられない。そんなことをするくらいなら、私は高卒で働く」と口癖のように宣った。高卒で働くことは親にも担任にも止められて、それなら、と消去法的に選んだのが美大進学だった。昔から絵を描くことが割と得意で、宿題で描かされた絵が美術教師の目に留まり、「あなたが美大に行かないのはもったいない」とか言われてわかりやすく調子に乗ったのだ。ごく普通の公立高校に通っていた私は、美大に行くという決断をすることで、同級生に対してお前らとは違うんだよというパフォーマンスになるとも思った。狭い世界で何重にも自意識をこじらせた上、完全に芸術を舐めているのがヤバすぎるけど、当時はそこまでしないと、世界に自分の居場所が持てなかったのだと思う。

上坂あゆ美『地球と書いて〈ほし〉って読むな』。©平松市聖

 美大に入るには美術予備校と呼ばれる場所に通わなくてはいけないことを知り、毎日毎日、学校が終わったあと十七時から二十二時頃まで、受験対策としてのデッサンや平面構成といわれる課題に取り組んで、土曜日なんかは朝から夜まで絵を描いた。その日の課題が終わると、講師が予備校の壁に上手い順に絵を並べ、切れ味が良すぎるナイフのような講評を始める。予備校の日々は本当に体力と気力を必要とするもので、こんなに大変だったとは……と入ってみて思ったが、課題が大変であればあるほど「自分は同級生とは違う、創作の苦しみを味わっているのだ」という変な愉悦にも繋がっていた。

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上坂あゆ美さん。©野口花梨

 そんな日々を過ごす中で、平面構成の課題が出されたある日のこと。たまたま調子が良かった私は早々にアイデアと構図を決め、誰よりも早く描きあげた。しかし講評の時間になって、壁一面に皆の作品が貼られたとき、「あっ」と声が出た。他の生徒のアイデアと構図が、私のものと全く同じだったのだ。対象の形や陰影を正しく表現する力が問われるため、アイデアが被ってもそこまで問題ではないデッサン課題に対し、平面構成課題は主に発想力を問われているため、アイデアや構図が似通ってしまうと致命傷である。さらに、その子の作品の方が壁の右側の方に貼られていて、それはつまり、相手の方が高評価であることを示していた。今考えればそこまで革新的なアイデアではなかったから、たまたま似てしまっただけかもしれないけれど、そのときは「絶対に真似されたんだ」と信じ込むほどには、精神が追い詰められていた。