「お前も狩野英孝になれ!!!!」
親が離婚した。その事実を当時はきちんと受け止められずにいた。名字や生活環境だけがどんどん変わっていき、私はそれを紙芝居か何かのように傍観している。姉は暴走族の恋人との付き合いを深めて日々問題を起こし、自分は自分で学校の誰とも上手く馴染めず孤独だった。さらに美術予備校のハードスケジュールをこなすことと、容赦のない実力主義による評価を受けることが重なって、受験期の私の精神を強く蝕む。しかし当時の自分は、それが異常な精神状態であることすら自覚できない、無力な一人の子どもだった。
予備校が終わり、家に帰って泣いた。他の生徒に構図がパクられ、彼の方が高評価を受けたという、それだけの出来事で心のダムが決壊した。それまで私はあまり笑いも泣きもしない子どもで、今まで感情が乱れたときも、それをできるだけ人前に出さなかった。だから家までは我慢したのだけど、離婚後に引っ越した狭い団地の部屋では、どうやっても母に泣いているのがバレてしまう。母はその日もソファーにどっかりと座り込んで酒をあおっていた。テレビでは『エンタの神様』が流れている。なんで泣いてんのと言われたので、私は予備校での一部始終を伝える。話せば話すほど負け際のテトリスのように悲しみがどんどんのしかかってきて、涙が止まらなくなって、顔全体に熱い液体が集まっているのを感じる。目線はテレビに向けたまま、静かに私の話を聞いていた母が言った一言は、「うるせえ、ピーピー泣くな!」だった。
てっきり慰めてくれると思っていたので困惑する私をお構いなしに、「こいつを見ろ!」と言って、母はテレビを指差す。テレビの中で芸人の狩野英孝が、「ラーメン! つけ麺! 僕イケメン!」と叫ぶ。母はコップに残っていた酒をぐいっと飲み干した。
「こいつなんてたいしてイケメンでもないのに、こんなに明るく頑張ってるだろ! こういう奴の方が気持ちがいいだろうが!! お前も狩野英孝になれ!!!!」
意味がわからなすぎて、私の心の中に突風が吹いた。それは、ぐしゃぐしゃした感情を全部吹き飛ばすほどの暴力的な風だった。
「な゛んで狩野英孝にならないといけないのぉ゛お゛」と鼻水まみれの顔で怒ったけど、自分でも言いながら笑ってしまった。不本意ながら、涙はもう止まっていた。
私の父は離婚後の慰謝料も、養育費もほぼ払わず、というか逆に私と姉のお年玉貯金を奪ってその金でフィリピンに飛んだ。そんな貧しい母子家庭にもかかわらず、母は美術予備校だけでなく、普通の大学よりもかなり金がかかる私立美大に進学させてくれた。人を頼るのが苦手な母が私を進学させるため、祖父をはじめ様々な人に頭を下げてくれていた事実は、大人になってから知ったことだ。今考えればあのとき、母の方がずっとずっと不安だったと思う。「ピーピー泣くな、明るく頑張れ」というのは、母が自分自身に言い聞かせている言葉だったのかもしれない。
数年経ってから、母に「あのときなんで狩野英孝になれとか言ったの?」と聞いてみると、「酔っ払ってて覚えてない」とガハハと笑った。まあでも、他人を見下すことで自分の居場所を得ていた当時の私よりも、真っ直ぐに自分を表現する狩野英孝の方が、たしかにずっと健やかでかっこいいよなと思った。


