アイドルグループ卒業後、新世代の小説家として注目を集める宮田愛萌さんと、スケザネの愛称でYouTubeでも親しまれる書評家の渡辺祐真さん。親交の深い盟友二人が、1年間という時間をかけて交わした往復書簡が新著『晴れ姿の言葉たち』だ。言葉を生業とする2人が、感情の言語化にひそむ危うさから推し活文化まで語った濃密対談。

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宮田愛萌さん(左)、スケザネさん(右) 撮影・釜谷洋史(文藝春秋)

1年間という時間をかけた“感情の生け捕り”

スケザネ 出来上がった本を見ると、「ずいぶん自分の話をしたな」というのが率直な感想です(笑)。今回の往復書簡はお互いが触媒になって、自分語りをしているんですよね。宮田さんの話に触発されて自分のことを話すし、その逆もある。

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 だから、二人分のエッセイでありながら、どこか「1.5人称のエッセイ」に仕上がったような感覚があります。

宮田 読み返してみると、私、本当に楽しそうに書いてるなって思います。今回スケザネさんがどこまで書いてくれるのか、ずっと探りながら球を投げていた気がしますね。今、左側にいるけど右側に投げても取ってくれるかな? みたいな期待で(笑)。

スケザネ それは僕のほうもそうで、自分一人でエッセイを書いていたら絶対に思いつかなかった話をたくさん投げ返せました。往復書簡という形式には、LINEなどと違って、あいだにしっかり「時間」が介在する良さがあったと思います。

 というのも、感情は基本的に自分で制御できないものです。自分で「よし、喜ぼう」とか「怒ろう」と決めてできるものじゃない。誰かに褒められれば嬉しくなるし、叩かれたらムカつくし、結局感情は「時間」のなかで生成するものです。映画を観て感動するのも2時間というプロセスがあってこその心の動きで、それを5分にまとめられたらプロットは分かっても感動はしない。つまり、人間の感情が生まれるためには、それ相応の「時間」の蓄積が不可欠です。

 だからこの往復書簡も、1年間という時間をかけたことに大きな意味があったと思います。この手紙のやりとりを続けていった先で、僕たちがどんな感情を生け捕りにできるのかは未知数だったし、楽しみだった。そんな期待を、一番最初の手紙でサリンジャーの短編「バナナフィッシュにうってつけの日」に重ねて記しました。

「はじまり」の言葉を捕まえたくて

宮田 私はスケザネさんと違って、自分の感情をすぐに認識するのが苦手です。もともとは感情の言語化が下手で、少し時間が経たないと、それが何だったのか分からない。たとえば、誰かに殴られて「ムカついた」と感じても、その瞬間のムカつきは私にとっては「仮説」でしかなくて、本当にムカついたのかどうかは、その後の時間をかけてじっくり考えないと結論が出ないんです。

宮田愛萌さん

 普通、誰もいちいち感情に「仮説」なんか立てていないと知ったのは近年のことです(笑)。だからこの手紙のやりとりのなかでも、まだ名前のついていない仮説段階の感情や、まだ仮説にすらなっていない感情――そこから立ち上がる「はじまり」の言葉を捕まえて、たくさんの感情のサンプルを手に入れたら面白いなと思っていました。

 そもそも、私の感情の理解は、ほとんどが物語から来ています。昔から本当に本を読むのが大好きで、言葉も感情のあり方も、だいたい本で勉強してきました。国語の読解問題を解くのも好きでしたが、小説のなかに描かれた感情を、現実の自分が感じたことと照らし合わせて「あ、これは同じような色だな」と確認する。記憶をたどると、小学生の頃からずっとそうやって感情を掴んできたんですよね。