『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』(東畑開人 著)KADOKAWA

 互いに傷つけ合わずに憎しみ合わずに誰かと一緒にいられたら素晴らしいなと常々思っている。東畑開人によれば、互いが互いのことをよくわかっているときは、その関係がすでに「こころのケアの充満した場所」となっているのだという。たしかに、相手の「傷つきやすいポイント」がなんとなくわかることもあって、そんなときは無意識に相手が傷つくような言葉を回避できていたり、自然と会話が弾んだりする。これが「晴れの日」である。

 本書は白金高輪カウンセリングルーム主催で行われた「心のケア入門――支えることのための心理学」と題した授業の全5回分を書籍化したもの、とある。「支える」、あるいはケアする側の心理学を考えるのであれば、当然「晴れの日」ばかりではないはず。「雨の日の心理学」は、「相手の具合が悪いとき、病んでいるとき、非常事態のとき」のケアをめぐる技術である。評者自身、難病に苦しむ母を介護しているが、どんなに頼りになる親でも病気になれば「雨の日」を免れないということを日々痛感している。

 本書では、「転移」と「逆転移」という精神分析の用語が用いられているが、前者は「話をきいてもらっているうちに、相手との人間関係にもともとあった困りごとが再現されてしまう現象」のことであり、後者は、これの「逆バージョン」であるという。誰かの困りごとを聞いているうちに「いろいろな気持ちになってしまう」というのが逆転移である。

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 誰かをケアしていて困るのは、その人にとって周囲の人が「潜在的に敵になっている」ときである。それを「PSポジション」という。たとえば、評者はこのポジションをとる母の感情に巻き込まれたことがある。「どれほど辛いかわかってくれない」と感情的になる母に、逆転移の影響でこちら側のこころも大きく揺さぶられる。「自分の気持ちが全然わかってもらえていないと腹を立て、世を呪っている。それがあなたに投げ込まれます」。東畑は評者が経験してきたケア実践をこんな言葉で射抜いている。「PSポジション」という名前が与えられたことで、読者は自分のこころの動きを客観的に見つめ直すことができるだろう。

 救いになる言葉もたくさんある。「つながりが深まっているからこそ、関係がおかしくなる」。「ちゃんとケアしているからこそ、あなたはつらくなっている」。ぜひ介護現場以外でも――職場で、家庭で、学校で――誰かをケアしようとして傷ついている人がいたら、手にとって読んでもらいたい。人と人の「こころ」は交流できるし、互いにかかわっているという事実が真に素晴らしいと感じられる。

 ひどく追い詰められているときもそれを見極めることで、ケアが少しだけうまくいくかもしれない。

とうはたかいと/1983年東京都生まれ。臨床心理士・公認心理師。白金高輪カウンセリングルーム主宰。専門は臨床心理学・精神分析・医療人類学。『居るのはつらいよ』で大佛次郎論壇賞、紀伊國屋じんぶん大賞2020受賞。著書に『ふつうの相談』等。
 

おがわきみよ/1972年和歌山県生まれ。上智大学外国語学部教授。著書に『世界文学をケアで読み解く』『翔ぶ女たち』等。