『死体と話す NY死体調査官が見た5000の死』(バーバラ・ブッチャー 著/福井久美子 訳)河出書房新社

 筆者は、ニューヨーク市検視局の元調査官。不審な状況で遺体が発見された場合に現場に急行し、遺体を調べるのが仕事だ。

 どこかで読んだ感じがする一冊だ。とはいえ、「検視」や「解剖」がテーマのノンフィクションや小説ではない。ではどこで……と思いながらページを繰っていく。

 事件や事故の多いニューヨークだから、仕事は引きも切らない。最初のエピソード、自死を選んだ男性のどす黒い「しかけ」を見抜いたところから、一気に引きこまれる。

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 若い頃の経験を率直に語る部分も含めて、明るいトーンで始まるのだが、すぐにダークな雰囲気に染まる。人の死と真っ先に向き合い、残虐な事件、悲劇的な自殺などの厳しい事実を知る過程で、調べる方の心も侵食されていくのだ。

 物語としてのピークは、やはり2001年9月の同時多発テロだろう。著者はこの直前、病気療養しており、職場への復帰は「9・12」の予定だった。その1日前に発生したテロ。マンハッタンに入ろうとして果たせず、焦りと苛立ち、悲しみ……痛みがヒリヒリと伝わってくる。

 本書の基本は、「遺体を調べる」という極めて専門的な仕事の秘密を知ることだ。躍動感とダークさに溢れた読み応えのあるノンフィクションであると同時に、個人的な闘いを続ける1人の女性が、再生と消耗を率直に打ち明ける、優れた個人史でもある。

 それにしても引きの強い一冊だ。何故なのかとつらつら考えたら、筆者が「ニューヨークで事件を追う、かつてアルコール依存症だった人物」という事実のせいだと気づいた。そして「どこかで読んだ感じ」が何だったのか、ようやく分かった。

 そう、ノンフィクションとフィクションの違いこそあれ、私の愛読書、ローレンス・ブロックの「マット・スカダー」シリーズの設定と同じなのだ。

 筆者は10代の頃から酒とドラッグに溺れ、その治療の過程で検視局の仕事を知り、魅了される。誘われるままに調査官の仕事を始め、あの大都市で日々起きる騒動に巻きこまれていくのだ。

「マット・スカダー」シリーズも、初期は主人公の探偵がアルコール依存症と戦いながら事件に取り組む。自らの依存症を認めたシリーズ中盤以降は禁酒に成功するのだが、アルコールの誘惑が消えたわけではなく、依存症との戦いが続いていく感じなのだ。

 本書では、調査官になった筆者が酒の誘惑に駆られる場面は少ないが、やはり依存症が背景にあり、そこからの立ち直りが大きなテーマになっているという点でも、「マット・スカダー」シリーズと共通している。

 変な言い方だが、ノンフィクションなのが残念だ。これがフィクションだったら、今年の年末のミステリベストテンで、ぶっちぎりの1位に推すところなのに。

Barbara Butcher/10代の頃からアルコール依存症に苦しみ、復職プログラムの過程で死体調査官の仕事に出会う。1992年にNY市検視局の死体調査官となる。首席調査官を務め、2015年退職。
 

どうばしゅんいち/1963年生まれ。茨城県出身。「アナザーフェイス」など、人気シリーズ多数。最新刊『ポップ・フィクション』。