『よむよむかたる』(朝倉かすみ 著)文藝春秋

 80代半ばで亡くなった祖母は「死」を直截に怖がる人だった。晩年は認知症の症状が出ていたのだが、深夜ふと真顔になっては、「人は死んだらほんとにあの世さ行くんだべか」などと孫の私に北海道弁で尋ねたりした。まだ若かった私は「それは私が知りたいですね」と思いつつ、人は歳を重ねてもその種の惑いから解き放たれるわけではないのだと、新鮮に驚いたのを覚えている。

 本書の舞台は北海道小樽市。そこで20年続く読書会「坂の途中で本を読む会」が、コロナ禍による3年の中断を経て再開された。その記念すべき日が、物語の始まりだ。

 上は92歳から下は78歳までという高齢読書会である。ただし、今回からは「名誉顧問」という肩書きで会場の喫茶店店主が参加することとなり、唯一の若者である彼の視点で物語は進む。

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 若者の目に映る老人たちはパワフルだ。というかすこぶる自由だ。人の話は聞かず、連絡事項は伝わらず、同じ思い出話を繰り返し、笑い、泣き、拗ね、そして食べる。そのマイペースな老人たちが、課題本『だれも知らない小さな国』を読み始めるとガラリと変わる……かというとそうでもない。ちょっとした一文を引き合いに出し、また大いに自分を語るのだ。

 読み進むにつれ、あらゆる境界線が曖昧になる。たとえば、ある会員は課題本に登場する「こぼしさま」と呼ばれる小人を「おみとりさん」に重ね合わせる。おみとりさんとは、助かる見込みのなくなった患者のもとに現れる「流しの付添婦」で、その人に看取られると皆「しあわせそうに逝く」という都市伝説があるのだ。また、主人公の「ぼく」に早逝した息子の面影を見て、盛大に涙するメンバーもいる。

 物語と現実、生と死、過去と現在が老人たちの中で渾然一体となり、読者の心をも呑み込んでゆく。そのうねりを縁取るのは、著者一流のユーモアだ。老いの道中に忍び寄る死の影を、

「なんもなんも、どっちみちですので。どの道いっても結果は同じ、みぃんな死んじゃいますので」

 北海道弁を駆使しながら豪快に言ってのけ、あるいは仲間の訃報に顔を腫らして涙しつつも、香典の算段をする。著者の描く老人は明るく人間くさく、そしてどこまでも力強い。

 人は誰でもかけがえのない存在だとよく言われる。が、そのくせ少し離れた場所から眺めただけで、「ひとりひとりの個性が消え、ひとからげに『お年寄り』となる」儚さも持つ。その儚い輪郭を、著者はひたすら刻み続けるのである。

 自律し、知的好奇心を失わず、「ずってでも這ってでも」会いたい仲間がいる。そんな理想の老後であっても逃れられない死に向かい、人は何を思い、どこにたどり着くのか。死を恐れていた祖母にも読ませたかった小説である。

あさくらかすみ/1960年北海道生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞を、04年「肝、焼ける」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。09年『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞、19年『平場の月』で山本周五郎賞受賞。

 

きたおおじきみこ/北海道生まれ。2005年『枕もとに靴 ああ無情の泥酔日記』でデビュー。各紙誌でエッセイや書評を執筆。