だから、クマに襲われたときは、たとえそれがどんなに小さな傷であっても病院を受診する必要がある――これも中永らがクマ外傷の症例を重ねる中で得られた知見のひとつといえる。
それにしても、中永たちが担当した患者のほとんどが、「ゆっくりと後ずさり」する時間的な余裕もないまま、突然襲われているという事実には正直驚かされた。そもそも普通、クマというものは人間の存在を関知したら、これを避けるように行動するとされている。もし避けられずに人間と遭遇してしまった場合でも、攻撃に移る前に警戒・威嚇というフェーズがあるものだ。そのフェーズを経ずにいきなり攻撃しているのだとしたら、いったい日本のクマに何が起きているのだろうか。
近年のクマ被害に生じた“ある変化”
県土の約7割を山林が占める秋田県は、もともとクマによる人身事故が全国的に見ても多い地域である。だが中永は、近年の県内におけるクマ被害の状況には“ある変化”が生じていると指摘する。
「以前は、山菜採りなどで山林の中に入った人がクマに襲われるというようなケースが圧倒的に多かったんです。いわばクマのテリトリーに人間が入っていったことによる事故でした。ところが近年では、市街地に侵入してきたクマに出くわした人間が襲われることが増えてきた。人間のテリトリーの中で襲われているわけです」
その結果、皮肉なことにクマに襲われた患者が病院に搬送されるまでの時間は、以前に比べて短くなっているという。
昨年11月には秋田市内土崎港のスーパーマーケットの中にクマが侵入し、開店準備中だった男性従業員を襲う事故(男性は頭にケガ)が起きている。現場は土崎港と名の付く通り、海に面した港町であり、最寄りの山林までは少なくとも4、5kmは離れており、通常であれば、クマが出るとは考えづらい場所だ。
クマが市街地に出没する理由としては、(1)夏から秋にかけてクマの主食となるドングリなど木の実類が山で凶作となり、エサを求めて人里まで降りてくる(2)若いオスが繁殖期に交尾相手を求めて移動し、人里に迷い込む(3)山林破壊や里山の荒廃により、ヒトとクマの生息域が接近し、人里周辺で生活する人慣れしたクマ(アーバンベア)が増えた、といったことが考えられる。いずれにしろ人里に迷い込んだクマは極度の興奮状態、もしくはパニック状態にある。そういうクマが人と遭遇した場合は、一種の防衛行動として即座に攻撃に転じる可能性が高い。
最大のクマ対策は「出会わないこと」
今や秋田に限らず、全国的にクマの出没件数は増加傾向にあり、人里付近での人身事故も増えている。今年7月には岩手県で民家に侵入したクマが、家の中にいた老婆を襲って死亡させるという前代未聞の事故も起きている。
そうした状況で人間ができる最大のクマ対策は「出会わないこと」に尽きる。

