学校から「男の子と遊ぶように」と電話がかかってきた
――遊んでいたのは男の子のグループですか。
矢神 女の子のグループにいました。そうしたら、学校の先生がお母さんに電話をかけてきたんですよ。「お宅の息子さんは女の子ばかりと遊んでいて、男の子の友達がいないんです。男の子と遊ぶようにしてください」って。それで男の子の友達を作らないといけないんだと思って。それが小学2年生くらいの頃ですね。
その頃は髪を伸ばしていたんですけど、学校から「伸ばしちゃダメです」と言われて。「女の子は伸ばしているのに、なんで私はダメなの」と腹が立ちましたが、切りました。
――小学校ではいじめにも遭ったそうですね。
矢神 小学校の修学旅行で、オカマだからって部屋の男子全員に無視されたり。小学校の時のいじめは「あいつはオカマだ」「変だ」という言葉の暴力が一番辛かったかもしれません。普通に傷ついてました。
中学校に上がると生徒というより体育の先生から向けられる剥き出しの嫌悪感がすごくて、昭和体質の軍人みたいな先生で「男は男らしくしろ」っていう人で。他の子がしゃべっても怒られないのに、私は絶対怒られる。明らかに嫌われてましたね。ビンタもされてましたし。
自分の性別に悩み「社会から外れた存在」と思うように
――なるほど。初恋とかはいつ頃でしたか。
矢神 付き合いたいという目線で好きになったのは中学2年生です。サッカー部のツンデレな錦戸亮さんみたいな子で、その子が初恋でした。私のことをいじってくるから、それに超興奮してました(笑)。
男性が好きだと分かったうえで女の子として生きたいけれど、体が男の子だから「私は女の子として生きることができないんだ」と思ってました。なかなか性別適合手術が身近じゃなさすぎて。ネットも発達してないから、どうやったら女性になれるか方法も分からないし、どうしたらいいんだろうって。
学校でアンケートってあるじゃないですか。その性別欄に男か女かに丸を付けなきゃいけないけど、まず自分が男なのか、女なのか分からない。けれど男って付けなきゃいけないから、社会のレールに自分は乗っかっていないって感覚でした。
――悩みを相談する人はいましたか。
矢神 いないです。だから自問自答する時間が多すぎて。当時性同一性障害って、社会からは変な人、障がい者の一種のように扱われていたけれど「それは、そっち側の人が決めたルールだし、こっちからしたら、別に障がいと思ってない」って感じてました。
社会から外れた存在という認識が徐々に強くなって「勉強しても女性になれないなら意味なくないか?」と。勉強を頑張っても自分はその社会のレールに存在しないんだ、と絶望に近い気持ちが広がって。今のルールは間違ってるから、自分でこれを変えたいと思ってました。
――周囲にカミングアウトをしたのはいつだったんですか。



