恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』シーズン4に参加し、最近は海外にも活動の幅を広げるタレントのシンディさん(28)。

 高校卒業後、バスガイドとして社会人生活をスタートさせた彼女は、歯科助手、キャバクラ嬢、バーレスク東京(現ロクサンエンジェル)のダンサーと転身を重ねながら、頭角を現していく。彼女の“シンデレラストーリー”に隠された成功の秘訣とは——。

バスガイド時代のシンディさん(本人提供)

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あえて“ドSキャラ”を演じた理由

 キャバクラ嬢として働くことになったきっかけは、歯科助手や高齢者の送迎ドライバーをしていた時にスカウトされたことだった。

 母親と「色恋営業はしない」ことを約束して働き始めると、入店してすぐにランキング上位に。彼女は自らの強みについて「記憶力の良さ」「視野の広さ」「気遣い」だと話す。

「バスガイド時代はすごい縦社会で、いわば大奥のようなもの。そこで鍛えられたから、例えばお客様のドリンクや煙草がないことにすぐに気づけるし、会話も盛り上げるし、誰かが出している『困った!』シグナルにすぐ反応できるんです。『いろいろ気が利くね』ってよく言われていました」

キャバクラ嬢時代のシンディさん(本人提供)

 そしてシンディさんが大切にしていたのが「逆転の発想」だ。

「体を売らずに、どうやってお客様に通い続けて頂くか。徹底してそれを考えていました。お金を使って頂けば頂くほど、『僕と付き合ってよ』という話になるんです。

 だから、私は“いい子”をやめました。社長さんに指名して頂くことが多かったんですが、呼び名を『社長』から『お前』に変えて、『お前だって1人の人間なんだから、調子に乗るなよ!』って」

 こうした戦略が功を奏し、20歳でお店のナンバーワンに。1カ月で1000万円を売り上げたときの給料は350万円ほどだったという。

バーレスク東京にダンス未経験で入店

 あるとき、東京・六本木の「バーレスク東京」を訪れた彼女は、そこで運命的な出会いを果たす。人気ダンサーのりおさんにスカウトされ、新たなキャリアに進むことになったのだ。

 入店してわずか1週間でステージのセンターを任され、2カ月でSNSフォロワー数1万人を達成。どちらもバーレスク史上最速という快挙だった。

「それまでは1年以上経験を積んだ人しかセンターに立てなくて、何でダンス経験もない私が選ばれたんだろうと思いました。でも、負けず嫌いとチャンスを無駄にしたくない気持ちから『やらせて下さい』と言ったんです」

バーレスク東京時代のシンディさん(本人提供)

 成功の秘訣は、ここでも「逆転の発想」にあった。

「十何年もダンスやヒップホップをやってますという先輩にはどう頑張っても勝てない。私は勝てない試合はしたくないんですよ。

 当時はみんな先輩から教えられた振付しか踊らない環境だったので、私はオリジナルの振りを加えようと思いました。例えば、ハートを作ったり、投げキッスを飛ばしたり、ウインクしたり、ちょっとファンサービスになるような振りを足したんですよ。そしたら、すごく受けて、ファンが増えて、それを真似る先輩や後輩が増えました」

 環境や常識に縛られず、自分の信じる道を切り開く。そんな彼女の“次の挑戦”に注目が集まる。

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