クロアチアがロシアW杯で快進撃を続けている。もちろん、決勝進出は史上初。ヨーロッパのビッグクラブでプレーするタレントを豊富に抱えるチームではあるが、大会前は「アウトサイダー」の域を脱しなかった存在だ。ただ、日本にとってはW杯で2度対戦した初めての国ということで身近な存在ともいえる。

 2006年のことだ。ドイツW杯で日本と同組になったクロアチアの秘密を探るべく、テレビから新聞、出版社まであらゆる日本のメディアが開幕前取材として同国に乗り込んできた。通訳コーディネートを務めた私は、あらゆるサッカー関係者のインタビューをセッティングしたが、決まって“ある質問”をすると、どのクロアチア人も返答に窮したのを記憶している。

「なぜクロアチアのサッカーは強いのですか?」

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 少し悩んだところで返ってくる言葉は、いつも曖昧なものだった。

「遺伝によるものさ」

「神が才能を授けてくれたんだ」

初のW杯決勝進出を果たし盛り上がるクロアチアサポーター。リードされたときは、決まって「あきらめるな!(Nema predaje!)」のチャントで選手達を励ます ©JMPA

クロアチアには「良い裁縫師」がいるらしい

 積年の疑問を解くべく、今から3年前にクロアチア・サッカー協会のテクニカルディレクター(当時)、ロメオ・ヨザク氏にこの質問を投げかけた。今年の「バロンドール」(ヨーロッパ最優秀選手)の最有力候補とされるMFルカ・モドリッチが16歳だった頃に指導した彼は、現代表で活躍するほとんどの選手を手掛ける、いわば「同国一の育成スペシャリスト」だ。間髪入れずに返ってきた彼の見解はこうだった。

「『神が才能を授けた』という説は、限りなく真実に近いと思う。しかし、あらゆる能力を授かったような究極の選手がごく稀に現れる以外、神はほとんどの選手に対して、すべてを授けることはしない。すなわち、タレントと呼ばれる選手の多くは『不完全なタレント』に過ぎないと私は言いたいんだ。クロアチア人はサッカーの才能にあふれる民族なのは間違いない。“クロヤーチュ(krojac)”という言葉を知っているか?」

――はい、「裁縫師」のことですね。

「良い素材を手にした裁縫師は、良いスーツを仕立てなくてはならない。素材が単なる素材だけに終わってしまってはダメなんだ。クロアチアには良い素材(=タレント)があり、良い裁縫師(=コーチ)がいるというわけさ」

レアル・マドリーでも活躍するエースのルカ・モドリッチ。ディナモ・ザグレブではトップチームに上がれず、武者修行としてボスニアのクラブに送られたが、そこで挫けなかったのは「あきらめない心」を持っていたからだ ©JMPA

重要視される「あきらめない」という意識

 クロアチア、そして旧ユーゴスラビアが優れたサッカーコーチを生む土壌であることは、日本も含めた世界中で活躍してきた指導者の存在からも一目瞭然だろう。その一方で、ヨザク氏がタレントに求める要素として、「プレーセンス」や「運動能力」と並び重要視するのが「頭の中=キャラクター」だという。潜在意識の大部分は遺伝的に決定づけられ、それこそ「神が授けた才能」と彼は位置づける。

「選手として戦うのか、戦わないのか。できると判断してチャレンジするのか、できないと判断して止めてしまうのか。本物のサッカー選手かどうかを見分ける要素が『あきらめない』という潜在意識。試練が訪れても、壁にぶち当たっても『あきらめてなるものか』とひたすら立ち向かう。ほんの微妙な差ではあるが、クロアチア人は旧ユーゴ諸国の中でも、そんなキャラクターを強く秘めていると私は考えている」