――活動弁士を名乗るなら、それだけで食えるようにならなければといけないと。
坂本 とにかく師匠はずーっと「役者は芝居で食えてるのが役者や。芸人は芸で食えてるのが芸人や」って言ってたんですけど、それがしばらくしたら高円寺で居酒屋始めたんですよ。師匠、少し話が違いませんかって言ったら、「いや、これはタレントショップだからええねん」だって。アハハ。
最近、居島さんとやっているYouTubeの番組で竜二さんにインタビューしたんです。そうしたら、うちの師匠も60過ぎて色々変わったんですね。うちの師匠、大映の出身ですから、昔はもう本編(映画のこと)に出なきゃいけないっていう人だったんだけど、それが最近、スマホで観るミニドラマか何かに出たらしくて、「いまはどんな小さな仕事でも面白いなって考えが変わったんや」とか「若い人と芝居するのは楽しいね」とか言い出すんで、びっくりしちゃってね。
だから人間は変わるんですね、いろんな意味で。私も、今回のように賞をもらって、変わる面があるのかなと思いますよね。
神田伯山との出会いが、寄席出演のきっかけに
――ちなみに今回受賞された芸術選奨の新人賞の授賞理由には「寄席定席における活弁の芸ほかの成果」とありましたね。そもそも寄席に出るようになったきっかけは何だったんですか?
坂本 それは、講談師の神田伯山さんが、それまで松之丞という名前だったのが、2020年に真打ちに昇進すると同時に伯山を襲名して、そのお祝いのパーティーを浅草で開くことになったんです。それで伯山さんから(声色を真似て)「先生、ちょっと余興で出ていただけませんか?」って頼まれて、活弁をやることになったんです。
――それまでに伯山さんと面識はあったんですか?
坂本 伯山さんとは2010年代の半ば頃に、三遊亭萬橘さんと玉川太福さんと私の4人で、講談・落語・浪曲・活弁の若手による「(次世代話芸者 NEXT)ワゲイモノ!」という会などで共演していたんです。あのときすでに松之丞さんは昇竜の勢いでしたから。あんな講談界の風雲児が、活弁界の異端児を好いてくれてね。「先生、先生」って、立ててくれるんですよ。まあ、変人だとは思っているんだろうけど……。
それで伯山さんのパーティーで余興活弁をやったら、居合わせた落語芸術協会(芸協)理事の師匠がたが「何だか面白いから、うちに入ってもらおうか」という話になって。伯山さんがきっかけで芸協に入会することができて、東京の寄席の定席にも出られるようになったんですね。池袋演芸場、浅草演芸ホール、そして新宿末廣亭と。入会してもう4年近くたちますか。
「寄席に映像を持ち込んだ努力」
――今回の芸術選奨のサイトを見たら、坂本さんについて「寄席に映像投影を持ち込んだ努力により……」なんて書かれていましたね。
坂本 面白いでしょ。あの贈賞理由はうれしかった。「持ち込んで」ってのがすごいなと思ってね。何だか空港に麻薬を持ち込んだみたいな表現で(笑)。

