今春、活動弁士として初めて芸術選奨・文部科学大臣賞新人賞(大衆芸能部門)に選出された坂本頼光さん(46歳)。25年にわたりプロとして活動し、寄席定席公演への出演など活動の場を広げる、日本を代表する活動弁士の一人である。

 コロナ禍で仕事が激減した時期を経て、活弁界の現状や今後の展望について話を聞いた。(全3回の3回目/はじめから読む)

映像に合わせて解説やセリフをつける「活動弁士」の坂本頼光さん ©山元茂樹/文藝春秋

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コロナ禍で仕事が激減、一家心中も覚悟

――コロナ禍の時はどうされてたんですか?

坂本頼光さん(以下、坂本) 大変でしたよ。コロナ禍が始まって、家から出るなっていうことになって、これはまずいことになったなと。家には90過ぎの認知症の祖母と70に手の届く母親が同居してて、私がほとんど(家計を)まかなってるので。そこへいきなり仕事がなくなったわけですよ。

©山元茂樹/文藝春秋

「ああ、一家心中なんて嫌だな」と思い悩んでいたときに、確定していた仕事がJALの飛行機内で落語を聴くチャンネルのナレーションだったんです。契約が決まった直後に世間はコロナ禍になったけど、契約通り、ナレーションを毎月1回録ってた。だから生きのびられたんです。もう、このギャラがなかったら無理でしたね。JAL様には生涯、頭が上がりません。

――コロナ禍でなくても、坂本さん一人で家族を支えるとなると大変でしょう。

坂本 逃げ遅れたんですよ(笑)。一人っ子だし。片親なのを育てて貰った恩もあるし……とにかく私、仕事が一番大事なんですね。仕事がもう生命そのもの。だから寄席に出るようになって、精神状態がよくなったんです。出勤率も高いでしょう?

ライバル関係も生まれづらい中で…

――いま、月にどれぐらい出てるんですか。

坂本 大体20日以上出てますね。寄席は毎日変化があるし、面白いです。またうれしいことに、この7月の下席には、新宿末廣亭の夜の部で、初めて片岡一郎先輩と奇数日・偶数日と交互に出演したんですよ。毎日日替わりで活動弁士が寄席に出るなんて、活弁の歴史でも初めてのことですよ。

――映画『カツベン!』で一緒に活弁指導もされた活動弁士の片岡一郎さん。デビュー前からの長い付き合いですよね。

坂本 二人とも演芸好き同士の弁士でね。数少ない仲間ですよ、一郎さんは。やっと同じ土俵で、同じ条件下で日こそ違え、落語とか漫才とかと混ざって出るなんて、これは燃えましたね。ようやく本当の好敵手になれたという気持ちになってくるわけですよ。

活動弁士の片岡一郎さん(右)と坂本頼光さん(本人提供 撮影=上村里花)

 楽屋に入ると、きのう向こうは何やったんだってネタ帳見て、「あ、『月世界旅行』やりやがった。じゃあ俺はきょう『太陽旅行』をやろう」とか。前座にもね、ちょっと片岡の靴隠しとけとか、あいつのお茶に粉わさびを入れとけとか……なんてことは言わないけど(笑)。

 普通、どんなジャンルにもライバルといいますかね、競争相手ってのはいるはずなんです。それが活弁界は人が少なすぎるっていうのもあるけど、個人主義がちょっと強くて、一緒にしのぎを削ることはあまりなかったんですね。そのなかで一郎さんは貴重な友人、かつ競争相手になっているわけです。