寄席には若い人が増えてきた
――いま、寄席の客層はどうなんですか。
坂本 若い人が増えましたね。これもやっぱり(神田)伯山さんみたいな人たちの力が大きいんじゃないですか。
――三遊亭王楽さんも七代目円楽襲名を契機に、坂本さんと同じ落語芸術協会に客員として入ることになったそうですね。
坂本 七代目の円楽さんと私は、小学校、中学校と一緒で。彼のほうが2年学年は上ですが、時期としては同じで、中学校のときは同じテニス部だったんですよ。彼が教えてくれたりしてね。優しい先輩なんです。不思議な縁。
――また円楽さんが襲名する時期と坂本さんが受賞した時期が重なるという偶然もあって。
坂本 そうですね、お互いに喜ばしいって。まさか、片や色物、片や円楽党の噺家っていうことで再会するなんて思ってなかったんだから。
――そうすると、襲名披露パーティーでも?
坂本 はい。余興で駆り出されましたよ。9月上席の夜は末廣亭で先輩が主任です。私も出して貰います。円楽さんは芸術協会の客員になったので、協会の番組でもトリが取れるようになったんですね。今後が楽しみです。末廣亭のあとは、16〜20日までやはり円楽さんトリの浅草演芸ホール、下席はまた末廣亭で、雷門小助六さんトリの番組にも顔づけして貰いました。忙しいけど、充実しています。
食えるようになるということが重要
――そういえば、今年は頼光さんが敬愛する水木しげる先生の没後10年ですけど、関連のイベントなんかに出演される予定はありますか?
坂本 何回か追悼イベントに出させてもらってますが、今年はないです。ただ、私はたしかに『鬼太郎』は好きですけど、それ以上に水木しげる先生が好きなんですね。
――水木しげるという人間が。
坂本 先生はゲーテの信奉者ですけど、私にすれば、先生がゲーテみたいなもんですから。あの先生の言ってくださったことが殆ど全てですからね。ゲーテとかニーチェとか、先生は哲学者の本を若い頃お読みになってて。だけど私は、水木しげるというフィルターを通して、先生の言葉として咀嚼しているわけですね。
でも水木先生も松田春翠先生も、うちの師匠(俳優の山本竜二さん。#2参照)もそうだけど、食えないっていうことが一番大変なんだよ、と。食えるようになるということが重要ではないかと。
――水木先生も、春翠先生も、山本竜二さんも、じつはみんな思想において通じていたという。
坂本 そうなんですよ。食えるためにどうするかっていうところで、いろいろ苦労されてきたわけです。
――それは坂本さんも骨身に染みていると。
坂本 いや、私はまだまだ……恵まれていますよ。餓死レベルの危機を体験していませんから。
撮影=山元茂樹/文藝春秋
◇◇◇
インタビューから2週間後の8月下旬、名古屋の大須演芸場での坂本さんのワンマンショーを一観客として観させてもらった。上映された作品は斎藤寅次郎監督の喜劇『子宝騒動』など、いずれもかなり前に坂本さんの活弁で観たものだったが、彼の話芸は円熟味を帯びてますますの名調子で、話にグイグイ引き込まれずにはいられなかった。
一方で、彼がインディーズライブに出演していた時代に自作したブラックなアニメも披露され、しっかり爆笑をとっていた。そんなふうに若い頃から変わらない尖った部分も残しつつ、確実に芸を深めていることにすっかり感服させられ、演芸場をあとにしたのだった。
この記事が公開された週末、2025年9月12日(金)には「無声映画 活弁上映会」が早稲田大学の大隈記念講堂で開催され、
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