ブレーカーが落ちたり、怒られたり…

――当然、映写機というかプロジェクターはご自分で持ち込んで、セッティングもするわけですよね。

坂本 そうです。定席に出るっていうことはゲストじゃないわけですから。寄席では落語が終わったら、噺家さんが下がる、前座さんが座布団をひっくり返して、めくりをめくって、すぐ次の人が出なきゃいけない。だから、いちいち幕引いて、ただいまから映写の準備をいたしますなんて、そんな悠長にはやってられないわけですよ。そこをどう解決するかというところが懸案事項だった。それさえできればOKなんですよ。

©山元茂樹/文藝春秋

 そこで私は考えて、風呂場で使うスノコにプロジェクターとDVDデッキを乗っけて、お盆で運ぶように自分で持っていき、あらかじめバミってあるところに置くと。スクリーンは、私が出てしゃべっているあいだに前座さんに立ててもらうということにしたわけですよ。これだと転換が20秒ぐらいで済むんです。うちでちょっと練習しましたけどね。

ADVERTISEMENT

――電源にも自分でつなぐんですか。

坂本 そうです。電源も延長コードを持ってって。最初はね、浅草演芸ホールも末廣亭もね、コンセントがいくつかあるじゃないですか。アンペアが弱いところにつながっているのがあってね。「それでは、映写スタート。ピッ!(合図のためホイッスルを吹く音)」って照明落とすでしょ、そうしたらそのまま一緒に(ブレーカーが)落ちちゃったりとかね。

 あと、冬場、前座さんがお茶淹れるのにポットの電源プラグをコンセントに差したら、途端にプロジェクターの電源がバンッと落ちちゃってね。私の出番のあいだだけはポット使用禁止になっちゃって、「お茶が飲めねえ」って怒られちゃいましたけど(笑)。

技術が進歩したことで活弁がやりやすくなった

――世代でいうと、坂本さんや片岡一郎さんたちのかなり上に澤登翠さんがいて、そのあいだにはたぶん弁士の人ってほとんどいらっしゃらないんじゃないですか?

坂本 だから、それはやっぱり、活弁の特殊性もありますよね。つまり、映像がなければいけないとか、映写環境がなければいけないとか。つまりプロジェクターとか、どこの会場に行ってもスクリーンがあるとかっていうのは、やっぱり平成になってからなんですよ。

©山元茂樹/文藝春秋

――ああ、そうか、時代が後押ししたっていう面もあるわけだ。

坂本 しかもいま、私が寄席で使ってるプロジェクターは、短い距離で大きく映せるんですよ。そんなの昔だったら100万円とか平気でしましたもの。

――じゃあ、いまは逆に活弁をやりやすい時代にはなってきているわけですね。

坂本 まあ、やりやすくなってるとは思いますが、物質的なことではね。DVDだし、パソコンのデータでも出せるから。私、最初にマツダ映画社で借りた時はフィルムで、あとはVHSでしたから。 

©山元茂樹/文藝春秋

撮影=山元茂樹/文藝春秋

次の記事に続く 「ああ、一家心中なんて嫌だな、と…」“史上初”芸術選奨新人賞・坂本頼光が語る“活動弁士のリアル”〈プロは全国に20人ほど、活動場所は…〉

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。