鳥居が片足しかない理由とは

 ここは長崎市の中心街。山王神社のある地は、爆心地から南東へたった約800mである。

 そう、原子爆弾によって吹き飛ばされたのだ。

左半分は原子爆弾に吹き飛ばされた

 昭和20(1945)年8月9日の午前11時2分、長崎に米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下された。強烈な爆風によって、この付近の民家はすべて全壊・全焼したという。

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 山王神社の社殿も吹き飛ばされ、参道に4基あった鳥居の内、三の鳥居と四の鳥居は倒壊。奇跡的に一の鳥居と二の鳥居が残された。

まだ両足だった頃の鳥居

 2基が助かったのは、爆心地から吹き出した爆風と平行に立っていたから。それでも、二の鳥居の爆心地側の柱と上部の石材は吹き飛ばされてしまい、右半分が残されたというわけだ。

 笠石の上部が若干黒っぽく見えるのは、強烈な熱に焼かれたことを物語る。

鳥居の上部は黒ずんで見える

 片足鳥居の向こうに、吹き飛ばされた左半分の残骸が集められていた。