境内に集められた鳥居の残骸
どれがどの部分だったのだろうか。わかりにくいけれど、もう片方の足だった柱、その上部にあったはずの笠石、「大神宮」とのみ残る扁額は素人目にも確認できた。
当時の人々はどんな思いでこれらの欠片を集めたのだろう。
なお、1基のみ完全な形で残ることができた一の鳥居だが、残念ながら昭和37(1962)年に交通事故で倒壊してしまったとのこと。その面影はどこにも見当たらない。
こうして現在、山王神社の参道では残存する片足鳥居がそのユニークとも言える姿で参拝者を迎えている。
だが、これでは神域を守る結界として用を成さないではないか。きっと悪霊でもなんでも通りたい放題だ。神社に坐す神様の御身は大丈夫なのだろうか。
山王神社が建てられたのは島原の乱のとき。寛永15(1638)年、幕府軍の総大将を務めた“知恵伊豆”こと、松平伊豆守信綱が江戸へ戻る道すがらのことだった。この地が近江国琵琶湖岸の坂本と風景が似ていて地名も同じだから、かの地の坂本に鎮座する山王権現をここにも祀ろう、ということになったとか。
それから明治維新の神仏分離を経て、明治元年に祀られるも運営が困難となった「皇大神宮」と合祀された。現在は天照大御神、豊受比賣神、大山昨神……などなど、たくさんの神様が祀られている。
やはりきちんとお守りするべきなのでは、と思いながら参道を左に折れると、境内の入口に覆い被さるように生い茂ったクスノキが現れた。
実は、この木のことを歌った「クスノキ」という楽曲がある。
何を隠そうこの片足鳥居があるのは、かの有名なシンガーソングライターも楽曲に歌ったほどの場所なのである。
その人物とは、福山雅治。いったい彼と片足鳥居にどんな関係があるのだろうか。






