神主さんに聞いてわかった驚きの事実

 気になって鳥居をくぐり、人っ子一人いない境内の奥へ進む。お社があるのかと探していたら、プレートが付けられた樹木を発見。よく見ると「被爆樹木」と記され、ナンバーが付けられている。

 さらに見渡せば、それは1本ではない。境内を取り囲むように、あちこちに生えているではないか。

境内の2本以外にもクスノキが
いったいどういうことなのか

 被爆クスノキは境内の入口に立つ2本だけではなかったのか。NHKの番組でも、神社のホームページでも2本しか紹介していなかったはずだが……。社殿横の授与所にいた神主さんに聞いてみた。

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「奥にあるクスノキも被爆したものですよ。被爆クスノキは19本あります」

「被爆樹木」のプレートは最近になって付けられたものらしい。知られていないのも無理はない。ほとんどの参拝客が社殿でお参りを済ませると、Uターンして境内の入口へと戻っていく。

なんと被爆クスノキは19本もあるのだ

 確かに入口の2本ほど立派ではないけれど、同じ被爆クスノキが他にもしっかりと根を張っているのに。なんだか残念だ。

社殿奥には赤の両足鳥居があった

人々の心の拠り所となる神社に

 ことごとく灰燼に帰した町に、片足鳥居とクスノキは残った。生き残った人々は、強烈な爆風に耐えた鳥居とクスノキの生命力に救われる思いだったに違いない。片足鳥居と山王神社の境内は現在、「国指定史跡長崎原爆遺跡」に指定されている。

千羽鶴が捧げられた慰霊碑

 島原の乱後に知恵伊豆の発案で、この地に鎮座した山王神社。その建立には乱の犠牲者に対する鎮魂の思いも込められていたかもしれない。

 原爆投下によって一度は社殿も宝物も何もかも失った。だが、その遺構を通じて平和を祈り、訪れる人々の心の拠り所となる神社として再出発したと言える。

境内にある美しい社殿

撮影=林らいみ

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