マリアは多くの悪意ある視線に苦しめられた
――映画では、書籍に書かれたこと以外の出来事も詳細に描かれています。脚色の際にはかなりリサーチをされたのではないでしょうか。
ジェシカ・パルー ヴァネッサの書いているこの本はたしかにひとつの真実といえます。でも真実というものは必ずしもひとつではないし、この問題は事態がとても複雑に絡み合っています。そこで私はいろんな人たちに話を聞きリサーチをし、マリア自身の視点から物事を見てみようと決めました。そうして『ラストタンゴ・イン・パリ』の撮影に参加した人やマリアの親しい友人やエージェントなどに話を聞くうち、語る人の数だけいろんなバージョンの話があるのだと知りました。もちろんヴァネッサ本人との会話も重要なものでした。彼女とは何度も議論を重ねましたし、彼女の助けでマリアの親戚や親しい人たちにも取材をすることができました。
取材を続けるうちにさまざまな真実が見えてきたわけですが、同時に、どの話にも共通するひとつの事実が浮かび上がってきました。マリアがあの撮影の経験によって心に大きな傷を負ってしまった、それは紛れもない事実なのです。撮影後、マリアの人生は劇的に変わってしまいました。人の視線を攻撃的に感じ他人を極端に怖がるようになった。実際、彼女は普段から不躾な視線を向けられ、ときには酷い言葉を投げかけられ唾を吐かれたこともあったそうです。
しかもマリアは、撮影時のトラウマを背負ったまま、たったひとりであの映画のプロモーションをしなければいけない状況に陥っていました。監督のベルトルッチやマーロン・ブランドは宣伝の場から逃げ出し、彼女は記者から投げかけられる攻撃的な質問や世間からの厳しい視線にひとりきりで耐えなければいけなかった。自分だけがとても苦しく辛い場に晒されたという怒りを、彼女は生涯抱えることになりました。その辛さから逃れようとして彼女はヘロインにハマっていったんじゃないか。私はそう予想しています。
――『ラストタンゴ・イン・パリ』の撮影時に負ったトラウマによってマリア・シュナイダーはその後悲劇的な人生を辿ったといえますが、この映画では、かすかではあるけれど、彼女の人生にたしかに光のようなものが差し込む瞬間があったことも示されます。それを象徴するのが、マリアと恋人になる若い女性ヌールの存在です。このヌールという女性には、特定のモデルとなった人がいたのでしょうか?
ジェシカ・パルー 名前は実際のものと変えていますが、マリアがそういう女性と出会い恋愛関係にあったのは事実です。彼女はとても純粋な人で、混じり気のない清らかな目でマリアを見つめていた。マリアが薬物依存から抜けられたのは彼女のおかげだったと言われています。
私たちが知るマリア・シュナイダーの人生の終焉は悲劇的といえます。仕事がだんだんなくなり、金銭的に困窮し、58歳の若さで病に倒れ亡くなりました。でも私は彼女の全人生を描くのではなく、ある一時期に焦点を当て、彼女のポートレイトを描こうとしました。そのなかで、ヌールという人の存在がマリアにとって非常に重要なものだったのはたしかです。
これは視線についての映画でもあります。マリアは多くの悪意ある視線に苦しめられたけれど、心優しい女性の視線によって助けられたのです。


