献身的に看病していた夫・伊集院静の後悔とは

 マネージャーが讃えたように、夫の伊集院は、彼女が入院して以来、一切の仕事を断って、献身的に看病した。ただ、彼のなかでは、果たしてそれでよかったのか、あとになって彼女の立場で考え直してみて後悔するところがあったらしい。

1984年、伊集院静氏との婚約会見を終えたばかりの夏目雅子さん(当時26歳) ©文藝春秋 撮影=飯窪敏彦

《病室での日々には不満はあったと思いますが、でも不平は一度も口にしませんでした。(中略)そうできたのは当人の強靱な意志でしょうが、同時に私が仕事を休止して付き添っていたことで、頑張らなくてはと思ったのではと後になって思いました。数日くらいは病院を飛び出して、「何が治療だ」という気分で好きな場所で思い切りやりたいことをさせてやるべきだったのではと思います。その悔みは“生還”にこだわり過ぎた私の誤ちではなかったかと思っています》(前掲、「愛する人との別れ~妻・夏目雅子と暮らした日々」)

 伊集院は夏目が亡くなった翌月、故郷・山口県防府市の自身の家の墓に彼女の遺骨の一部を納骨した。妻に唐突に先立たれた彼は途方に暮れ、以後数年間は、ギャンブルと酒に時間と体力を費やす日々を送っていたという。そんな状況も、肉親や恩師や友人らが手を差しのべてくれたおかげで切り抜けられたと顧みている。

 伊集院は夏目の生前より小説を書き始め、短編をいくつか発表していた。彼女もまた「イーさん(伊集院の愛称)には立派な作家になってもらいたい」とかねがね口にしていたという。

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1992年、直木賞受賞会見での伊集院氏 ©文藝春秋

 自失状態から抜け出した彼は、東京に戻って小説に専念するようになる。1991年には夏目の闘病を下敷きにしたと思しき作品を表題作とする短編集『乳房』で、吉川英治文学新人賞を受賞。さらに翌年には『受け月』で直木賞を受賞し、作家として地歩を築いた。この間、彼女の七回忌(1991年)にあたって偲ぶ会を事務所社長とともに取り仕切った伊集院に、夏目の母は「もう、七回忌も立派にやってもらったから、雅子のことは忘れて、早く再婚してほしい」と告げたという(前掲、『ふたりの「雅子」』)。彼が女優の篠ひろ子と再婚したのはこの翌年であった。

 再婚後、篠ひろ子の出身地である仙台に居を移した伊集院は、東日本大震災で被災したのを機に、夏目を喪った経験にもとづく自伝的小説『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(2014年)を上梓するなど数々の作品を残し、2023年に73歳で死去した。

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