いまから40年前のきょう1985年9月11日に、27歳の若さで亡くなった女優・夏目雅子。
当時18歳でカネボウのキャンペーンガールに抜擢されブレイクすると、ドラマ『西遊記』の三蔵法師役など、役者としても注目を浴びるように。「演技を学びたい」との思いから事務所を移籍した後は……。(全3回の3回目/はじめから読む)
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1979年、事務所を移籍した夏目雅子は、本格的な俳優に育てようという其田則男社長の方針のもと、テレビのレギュラーやCMはなるべく絞り、当時増えつつあった2時間の単発ドラマを中心に出演する。映画では大作『二百三高地』(1980年)のヒロインで注目された。
前後して出演したNHKの大型ドラマ『ザ・商社』(1980年)は、女優・夏目雅子にとって大きな転機となる。原作は、実際に起こった商社の倒産劇をモデルにした松本清張の小説『空(くう)の城』で、夏目はヒロインである新進のピアニスト・松山真紀を演じた。劇中の真紀は、ジャーナリストの元恋人(勝野洋)、パトロンである商社の社主(十三代目片岡仁左衛門)、そして主人公であるアメリカ支社長(山崎努)と3人の男を踏み台にのし上がろうとする野心家として描かれる。
「お嬢さん女優」からの脱却
同作のディレクター・和田勉から当初オファーされたのは別の役だったが、夏目は脚本を読んで真紀に興味を抱き、「あと10年経ったらこの役をやりたい」と伝えた。だが、彼女は当時22歳。10年経てば30歳を過ぎてしまう。和田は彼女に「役者にはいましかない。やりたければ、いまやりなさい。真紀をあなたにあげます」と言って、その場でヒロインに抜擢した。
和田は夏目を「お嬢さん女優」と呼ばれた従来のイメージから脱却させるべく、収録以外のところでしつこくダメ出ししたらしい。彼女によれば《ふつうの時に歩いていると、後ろから『あ、お嬢さんの歩き方』とか言われるんです。(笑)あの番組ではお嬢さんではまずいわけで、それを『お嬢さんが笑ってる』とかチクチクチクチク言うんです》、《『椅子にお行儀よく坐ってるね』とか言われるの。じゃあ、お行儀の悪い坐り方ってどんなのだろう、などとしょっちゅう考えてなきゃいけない。だからあの時は、ふだんの生活もすごく横柄で態度が悪かった。(笑)》という(『週刊明星』1982年6月24日号)。
その成果は迫真の演技として表れ、夏目は俳優として一皮むけた。和田の指導により、《女優としてだけじゃなく、人間としても叩き直されたって感じがします。それまではいい子に見られたいとか、人に嫌われるのが不安でしょうがなかったけれど、たいせつな部分さえ押さえていれば、周囲の顔色うかがったりすることはないんだって吹っ切れたんです》と顧みてもいる(『週刊平凡』1983年9月1日号)。

