「私には大きな傷跡があるので」と洋服をはだけ…
この映画では、鬼政が松恵をよその男に取られまいとして手込めにしようとする場面がある。その撮影を前に、夏目は鬼政役の仲代を呼び出すと、「私には手術による大きな傷跡があるので、撮影では傷口が見えないように襲いかかってください」と言って、洋服をはだけ、喉から胸元にかけて残った手術跡を見せたという(『週刊現代』2021年4月24日号)。それは1980年に受けたバセドウ病の手術によるものだった。仲代は《その時、これは凄い人だと思いました。わが身を削ってまで、共演者に気を遣ってくれたわけですからね》とのちに振り返っている(春日太一『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』文春文庫、2017年)。このエピソードからは、劇中の松恵と同じく、夏目もまた病気がちという自身の境遇を受け入れたがゆえの凄味が伝わってくるようだ。
同様の話は、映画『瀬戸内少年野球団』(1984年)の撮影中にもあった。このときは、撮影の合間、夏目は共演した子供たちと海水浴をしていると、不意に監督の篠田正浩に「監督、私の体は真っ二つなの」と漏らすと、スクール水着の上半身をはだけたという(『週刊現代』2012年7月21・28日号)。それでも、彼女はどの撮影現場でも自分が病気であるそぶりは一切見せなかった。
『瀬戸内少年野球団』と同時期に撮影された『魚影の群れ』(相米慎二監督、1983年)で、漁師である父と娘の役で夏目と共演した緒形拳は、《雅子には喉元に壮絶な傷痕がある。あれをさらけ出して芝居するようになったら、怖い役者になるよ》と言ったという(『週刊平凡』1983年9月1日号)。
ただ、本人は、緒形のその言葉を受け、手術跡について《これまでも隠してたわけじゃないし、そんなに私の中に深く影を落としているものでもないんです。私の生き方や芝居にかかわってくるほどのものなら、逆にありがたいんですけど。ただ、物理的にあの痛さだけは忘れられませんねえ》と語っている(同上)。
「“なんとなく、アノ子が生きてたね”なんて思われるのがイヤになっちゃったんですよね」
それでも手術跡が、一緒に仕事をしていた人たちにのちのちまで強烈な印象を残したことは間違いない。そう考えると、その傷痕は彼女が確実に生きて存在したという証しともいえるかもしれない。当人も、手術の前後には父親と死別したこともあり、《自分を相手にキチンと伝えたい気持ちがものすごく強くなった。(中略)あとで自分が死んだときのことを考えているわけではないんですけど、“なんとなく、アノ子が生きてたね”なんて思われるのがイヤになっちゃったんですよね》と、手術後の自分のなかでの変化を語っていたことがある(『MORE』1981年8月号)。
『瀬戸内少年野球団』は1983年4月から1年をかけて瀬戸内海の島々で撮影した。一方、『魚影の群れ』は本州最北端の青森・大間崎でロケを行い、そこへさらにNHKの大河ドラマ『徳川家康』の収録も重なり、この年は移動に次ぐ移動で、夏目は旅役者になったみたいな気分を抱いたらしい。同年にはこのほかにも『時代屋の女房』『南極物語』と出演映画が公開されている。


