篠ひろ子さんが31年間の結婚生活を語った前号では、直木賞作家である夫の伊集院静さんの死去から1年の節目に、24年ぶりにメディアに登場して思いの丈を明かした。掲載後、“最後の無頼派”とも言われた伊集院さんの意外な一面を知ったという反響と共に多く寄せられたのが、「篠さんのことをもっと知りたい」という声だった。
92年に44歳で結婚すると住居を故郷の仙台に移し、女優としての絶頂期にテレビから姿を消した篠さん。前号よりもずっと明るい声で語られた人生は――。『週刊文春WOMAN2025春号』より、一部編集の上、紹介します。
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私のことを知りたいという反響があったのはありがたいことです。『週刊文春WOMAN』が出た直後に、地元の河北新報で伊集院を担当していた記者の方からもインタビューの依頼がありました。ある時までテレビに出ていた人が、なぜ急に出なくなったのか知りたい。そういう方は多いのでしょうね。
97年に最後のドラマ「彼」(フジテレビ系)に出演する時に、「引退します」と言えなかった。まだ自分の気持ちも揺らいでいたので。だから何だかみなさんをズルズル引っ張ってきてしまったようで、申し訳ないなという気持ちはずっと心にありました。
ただ、自分のことを話すのは苦手なタイプなんです。どういうふうに話したらいいのかしら。
まずは「お涼さん」から伺うことにした。73年、25歳の時にドラマ「時間ですよ」(TBS系)で演じた小料理屋のおかみ。これで女優・篠ひろ子の人気に火がついた。親の決めた婚約者から逃れ、恋人と心中を図り1人生き残り、しかも最後は白血病で死んでしまうという役だった。20歳で上京、歌手としてデビューしたが当たらず、演技経験のほぼなかった篠さんを抜擢したのはプロデューサーの久世光彦さんだ。
こんな背の高い女に着物を着せようって、よく久世さんは考えたなって思いますよ。着物も着たことなかったし、お酌の仕方も全然知らなくて一から勉強でした。カウンターの中に私がいて、お客さんが座っているというシーンが多くて、でもカウンター越しに撮ろうとするとお客さんと私のバランスが取れない。だから私はスリッパを履いていたんです。なるべく背が高く見えないようにって(笑)。
当時のプロフィールによると、篠さんは身長167センチ。久世さんは『女性セブン』(74年10月9日号)に、初めて喫茶店「アマンド」で会った篠さんがコーヒーをこぼしたという話を書いている。〈彼女はバッグの中から水色のハンカチを出して、そっとテーブルを拭きました。(略)ほんの一瞬のつつましいひとつの動作から、あのお涼さんは生まれました〉
ただ、お涼さんが当たってから同じような役ばかり来て、それが嫌でしたね。もっと年相応の、現実味のある役をやりたかった。お涼さんは自分よりすごく年上というイメージだったし。でも男の人にとっては、「こういう女性がいたらいいな」と憧れる女性像だったのでしょうね。