もちろんドラマというのは作りものなのだけど、自分のキャラクターと余りにも違ったので。お涼さんを期待されるたびに、「違うんだけどなー」って。自分のもっている別の面を出せる役をやりたかったのだと思います。

仙台のミッションスクールに通った10代の頃

 68年10月、「水色の風」でデビュー、「時間ですよ」出演までに限っても8枚のシングルレコードを出したが、当たらなかった。

 お涼さんで女優業に軸足を移し、次に演じたのは時代劇「荒野の用心棒」(73年、現・テレビ朝日系)の「流れ星のおりん」だった。

「時間ですよ」のお涼さんの後、同じような役ばかりオファーが来ると、歌手としてキャバレー回りすることを選んだ

 撮影中にすごく笑われたことを覚えています。演技の基礎など何も出来てないわけですから、おかしな演技をしたんでしょうね。笑われて当然と思いましたよ。そのことだけはすごく記憶しています。

 演技はその場で恥をかきながら覚えていきました。それでなんとかやってこられたのは、私って図々しいというか……。そうそう「したたかな女性だね」と言われたことがありました。自分では全然そんなふうには思っていなかったけど、生き抜いていくのが大変な世界ではありますからね。

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 お涼さんみたいな役ばかりなので、女優の仕事をしなかった時期もありました。でもその時代はキャバレーやクラブという歌う場所があったから、なんとか生き抜いて来られたんです。

「お涼さんが来る」というだけで、ものすごくお客さんが入ったんですよ。歌は下手でも、いろんな所が呼んでくれたし、初めて「歌っていてよかった」と思いました。

 歌の話になると、篠さんは必ず「下手だ」という。だが、レコード大賞受賞曲(近藤真彦「愚か者」)などの作詞家でもある伊集院さんは、『続・大人の流儀』でこう書いた。〈家人などはレコードを何枚も出していた歌手だったらしく、歌うとビックリするくらい上手くて、感心して聞いたことがある〉